記憶にない再会 -07-
次に基地にやって来たのはラフだった。
いつもなら騒がしい基地が静かなので誰もいない物だと思ったのだ。しかし、いつもの部屋にはマイキーが項垂れるように横になっていて、いかにも自分が不機嫌だというような表情でコミックを読み耽るレオがいた。ドニーはおそらく自室で機械いじりをしているのだろう。機械音が聞こえてくる。
「……何かあったか?」
「なんも」
レオがそっけなく答える。その声はいつもよりワントーン低い。何かあったと言っているようなものだ。ピザの取り合いで喧嘩したのならもっと騒がしいものだが、これはただならないことがあったのだろう。
ラフはランプ台へ反るように寝そべって項垂れているマイキーの体を立ち上がらせて起こした。
「マイキー、なんかあったんだろう?」
「……ついさっきまでが来てたんだ。それでレオと喧嘩になっちゃって」
「が!? なんでよりによって俺のいないときに……それでは?」
「怒って出て行っちゃった」
「……一人で行かせたのか?」
「だって、仕方ないよ。ついて行こうとしたら、ついてこないでってが……」
そこでラフとマイキーはお互いの顔を見合わせた。二人が思い出したことは一つ。が病的に方向音痴だったということ。この下水道でも何度も迷子になった。
……もし方向音痴が治っていなかったら?
「まずいよラフ! が下水道でミイラになっちゃう!」
「そんなことあってたまるか! まだ遠くに行ってないはずだ、すぐ見つかる!」
マイキーは「ドニー!!」と叫びながら慌てて上の階へ向かった。上でドタバタという足音や何か物が倒れ、ドニーが悲鳴を上げる声が聞こえるが、ラフは素知らぬ顔で漫画を読み続けるレオの肩を掴んだ。
「おい、探しに行くぞ!」
「へーそー行ってらっしゃい。俺は留守番してる」
「レオ、いつまでお前はいじけてんだ」
「いじけてる? これのどこがいじけてんだ?」
肩をすくめるレオにラフは深くため息を吐いた。
「が俺たちのことを覚えていなかったことに一番傷ついてるのはお前だってことは分かってる。でも、妹の助けにいかねぇと」
「……俺はいかねぇ」
「勝手にしろ」
一刻も早くを助けに行かなければならない。これ以上意地になってレオの相手をすることを諦めたラフはその場を去った。
***
「……ここどこぉ」
頭に血が上りすぎて、自分が方向音痴であることをすっかり忘れてしまっていた。
ここはニューヨークの街だけど、その下に張り巡らす下水道だ。スマホのマップアプリは役に立たない。
意地張ってマイキーについてこないでと言ってしまったのがいけなかった。暗くて臭くて汚くて……そんなところにたった一人。心細くてたまらない。
「はぁ……私、何やってるんだろ」
深いため息が出る。ちょっと舞い上がってしまったのかもしれない。
このニューヨークが嫌でたまらなくて、そんな時に彼らが現れた。衝撃的な事実は、私の日常を何か変えてくれるのではないかと思っていたのだ。
レオが私のことをあまりよく思っていないことは分かっていた。でも、やっぱり自分を否定される言葉を投げられれば傷つく。
もう一度来た道を振り返った。
もうあそこへは行けないだろうな。マイキーにも酷いことをしてしまった。きっと私に呆れちゃっただろう。
そう思うと、悲しい気持ちが込み上げてくる。
ふと、ひたひたと足音が聞こえて来た。……誰だろう。明かりをそちらに照らしていると、ぬっと大きな体が現れた。その色は緑色だ。
「こんなところにいたのか」
「あなたは……ええと、ラフ?」
「名前覚えててくれたのか」
ラフは嬉しそうに笑った。私も笑ってみせたが首を振った。
「ううん、マイキーがそう呼んでたから、あなたのことだと」
「別にいいんだ。……それにしても」
ラフは息を吐いて腕を組んだ。その表情はどこか呆れていて、苦笑している。
「その方向音痴は相変わらずみたいだな」
「う……私、小さい頃からこういう感じだったの?」
「ああ。お前の姿が見当たらない時はみんなで探し回って苦労した」
「なんか、ごめんね」
申し訳なさが出て来て、思わず謝ってしまう。すると、ラフはくつくつと笑った。
「いやいいさ、なんか懐かしい気持ちになるな。……帰るんだろ? こっちだ」
ラフはなぜか私の来た道の方へ歩いていく。どうやら家の反対方向へ歩いていたらしい。
「話はマイキーから聞いた。レオがお前に酷いことを言ったって」
「確かにあなた達を忘れてしまったことは申し訳ないなって思うけど……あんなに酷いことを言わなくたっていいじゃない。なんでレオはあんなに私に強く当たるんだろう」
レオに言われたことを思い出す。俺はこいつを家族と認めない。別に、私は家族になりたいと思っていたわけじゃない。それは事実だ。
だけど、自分でも分からないけど胸がぎゅっと苦しくなる。
「……お前がいなくなって、俺たちは連れ戻そうとこっそり抜け出したことがあってな」
「え?」
ラフは懐かしむように言う。その表情は笑ってるけど苦い記憶を思い出すようだった。
「結果的に、父さんに見つかって止められたけどな。一番躍起になってたのはレオだったんだ。お前が人間に見つかって捕まった時、その場に居合わせていたのはレオだった。目の前にいて止められなかったことが相当悔しかったらしい。……俺もレオの気落ちは分かる」
「……そうだったんだ」
そういう事情があったんだ。その話を聞いて、自惚れじゃなければレオは私のことを心の底から嫌っているわけではなさそうだと思った。少しだけホッとした。
「父さんに止められた時、こう言われたんだ。“人間には人間の、自分たちには自分たちの生きる場所がある。本当ならは人間の世界で生きるべきだった”ってな。ガキだった俺たちを納得させるための言葉だと今では理解できるけど、納得するには時間がかかった」
「……ラフもそう思ってるの?」
聞いてみると、ラフはこちらから目を逸らした。
「……少なくとも、もうお前を連れ戻そうという気はもうない。にはもう居場所があるだろう」
「……うん」
その通りだ。私にはちゃんと家がある。血は繋がっていないけれど私を愛してくれる両親のいる家。
いくら彼らが私を暖かく出迎えてくれていても、ここはもう私の家ではないのだ。
しばらくラフと並んで歩いていると、私が降りてマンホールまでたどり着いた。ラフがマンホールの蓋を開けて、周囲に誰もいないか見てくれた。
「……よし、誰もいない。いいぞ」
「ありがとう」
マンホールの細い鉄棒をよじ登ってマンホールの蓋の向こうへ出ようとする。そのまま出て行ってしまうことがなんだか名残惜しくなってしまって、ラフを振り返った。通路は狭いので振り返ればすぐ目の前にラフがいる。
「それから、ごめんなさい。あなた達のこと覚えてなくて。私……かえってあなた達を傷つけたんじゃないかって」
「それは違う、お前にまた会えて、どんなに嬉しかったか!」
ラフの大声が狭い通路で響いた。ラフの顔が今にも泣きそうな表情をするので、私は頷いて見せる。
「うん……私も、あなた達に会えて良かった」
今度こそ、マンホールの蓋の向こうへ体を滑り込ませて地上へ出た。
「それじゃあ……さようなら、ラフ」
「ああ、じゃあな」
ラフはそう言い残してマンホールの蓋を閉めた。
周囲からはニューヨークの騒々しい喧騒が聞こえてくる。人の歩く音や車の走る音……これまでずっといた下水道の雰囲気はなく、比べるとニューヨークの空気でさえ清々しく感じる。
どうしてこんなにも後ろ髪を引かれるような心地になるのだろう。
このマンホールの下にはラフがいて、さらには彼らもいる。このマンホールさえ開けば、彼らに会うことができる。
でも、私はもう二度とこのマンホールの下へ行くことはないのだろう。それがどうしてか辛かった。
2023.11.11