記憶にない再会 -05-
「実は父さんにが来るってこと言ってないんだよね」
マイキーがいたずらっ子のように笑って、振り返った。
「え、だ、大丈夫なのそれ?」
「分からないけど、腰抜かす父さんも見てみたい気もする」
「そんなこと言って……」
にやりと笑うドニーに呆れる。私の記憶は無くても、あちらは多分覚えてるはずだ。一体どんなリアクションをされるか、ちょっと怖い気もする。
しばらく歩くと、テレビのCMの音が聞こえて来た。ミニシアター付きの部屋の真ん中にソファが置かれていて、そこに誰か座っているようだ。その影は全く見えないので、どんな人かは分からない。
「ねぇ、父さん。ちょっといい?」
「邪魔しないでくれ、今いいとこなんだ!」
「大事な話があるんだよ。とっっても大切な!」
「全く、テレビよりも大切な話なんてそうそう……」
椅子が軋む音を立てながらこちらをくるりと回転する。唖然とした。そこに座っているのはてっきり亀のミュータントで、彼らと同じような緑色をしている人が座っているかと思っていた。でも、実際はそうじゃなく、灰色だ。背は小さく、やや丸っぽいフォルム、白髭を蓄え、耳は薄いピンク色でピンとしていて、尻尾はある。……それはどう見てもネズミだった。きっと、ネズミのミュータント。
「まさか、そんな……わしは夢を見てるのか?」
「タッタラー! サプラ〜〜イズ!」
マイキーが両腕を広げてちゃかす。彼はソファから立ち上がって、私の足元まで近寄る。彼の身長に合わせるようにしゃがめば、腕に触れられる。
「か?」
「は、はい」
「わしの愛しい娘が帰って来た!」
感極まったように、彼の目に涙が浮かび、その小さな体で私を抱きしめた。彼が感動で体を震わせているのは分かるけれど、正直なところ私は困惑していた。だって、私には彼が感じているほどの感動がないのだから。助けを求めるつもりで後ろを振り返ったけど、マイキーはにんまり笑っていて、ドニーは肩をすくめただけだった。
ちゃんと説明しないといけない、そう思って「あの、」と彼に声をかけた。
「色々、お話しないといけないことがあるんです」
「……そうか、すまなんだ。記憶がないとなると、わしの姿を見て混乱しただろう?」
「いえ、そんなことは……本当は、少しだけ」
改めて話すため、椅子に座ってスプリンター……彼らの父と対面した。もてなしのお茶を出してもらい、私は手土産代わりに母さんのサンドイッチをテーブルに出した。
「こう、なんというかぱつんと消えているんです。思い出せないというより、記憶がないというのが感覚として正しいというか」
「ふむ……奇妙なことだ。お前が人間に“捕まって”から何かあったのか、それも確かめようがないな」
「あの、マイキーからあなたが私を拾ったって聞きました。一体どうやって私はここに来たんでしょうか?」
マイキーをちらっと見る。ドニーと一緒にサンドイッチを口いっぱいに頬張っている。お気に召したようでよかった。スプリンターは髭を撫でながら思い出すような声音で語ってくれた。
「あれは十一年前。地下道のあるところで、幼いお前がボロ布を身に纏って倒れていた。わしは、死んでいると思った。まぁこういうところだからそういうものは珍しいものじゃない。しかし、子供の死体というのは辛いものがある」
想像できるとはいえ、この下水道は死体があってもおかしくないのか……。やっぱりこの下水道は好きになれそうにない。
「せめてもの、弔ってやろうとしたら息がある。急いで隠れ家に連れて行き看病した。酷い熱でな、先祖代々伝わる秘薬を煎じて飲ませてやっても、回復するかどうかというほどお前は弱っていた。
お前が回復したのは奇跡だった。わしはお前を地上に戻すかどうか迷った。だが、お前と息子たちは昔からそうだったようにすでに親しくなっていた。聞けばお前に両親はおらず、住むところもないと言っておった。それで、娘として我が家に迎えたというわけだ」
「そうだったんですか……」
そう説明されても、やっぱり思い出すことはできない。まるで物語の一説を語ってもらったような感覚だ。
「僕はお前が運び込まれたこと覚えてる。最初は父さんが死体を連れてきたと思ったからてっきり……」
「こ、怖いこと言わないでよ」
人の悪い笑みを浮かべて気味の悪いことを言うドニーを非難した。それでもドニーはニヤニヤと笑っている。どうやらからかわれているらしい。
彼らと家族になった経緯は分かった。結局私が一体誰なのか、つまり本当の両親や住んでいたところは分からずじまいということだ。でも、ちょっとホッした気もする。もうすでに今一緒に住んでいる人たちが私にとっての父さんと母さんだから、本当の両親が誰か分かったところで、私は彼ら会いたいのかどうかも分からない。
その時、私の目の前に紙の束が乱雑に置かれた。勢いが良すぎたせいで、お茶のカップが揺れてテーブルに少しこぼれる。
「おい、気をつけろよマイキー」
「これをに見せようと思って!」
マイキーは一枚のポケット大の紙を手渡す。それは写真だった。亀の兄弟たちに取り囲まれ、中央に一人の女の子が写っている。それは私だった。幼いけど、私と同じ顔をしていた。
「これ、私……?」
家には自分の写真がいくつもあるけど、一番古くても八歳くらいのものしかなく、それ以前の写真は一枚もない。施設にいたのだからそれは仕方のないことかもしれないけど、初めて見る幼い姿の自分を見て私は確信した。
「私は、本当にここにいたんですね」
顔をあげれば、奇妙な姿の彼らは微笑んで頷いていた。
これまで半信半疑だったことを信じるしかなかった。私は確かに彼らと家族だったのだ。
2023.10.14