記憶にない再会 -03-

奇妙な出会いをした翌日。私はあの彼らの言動に苛まれて、一日のほとんどの時間はそのことを考えることに費やしていた。
彼らは私の名前を知っていた。理由は彼らと家族だったからで、一緒に暮らしていたからだと言う。こんなことってありえる? 私はずっと人間のつもりで暮らしていた。でも実は姿を変えられた亀のミュータントで、その時の記憶を失っているとか? ……それこそありえない。
はぁと息を吐くと、目の前に広がるまっさらなノートをコツコツ叩かれた。

「どうしたの? ため息なんかついちゃって」
「あ、ごめん。数値測らないといけなかったよね」

慌てて目の前の温度計の数値を走り書きする。いけない。今は学校の授業中で、化学の実験途中だったのだ。

「なんか今日はずっと元気ないね。何か悩み事? よければ聞くけど」
「うーん、悩みって言うほどじゃないんだけど……」

頭をかいて私は目の前の人物を見た。
科学の授業で同じグループになったエイプリル・オニールは転校して一番よく話すクラスメイトだ。つまり、彼女以外のクラスメイトと話すことはほとんどないということ。ニューヨーカー達は田舎からやってきた転校生に無関心だ。
いっそ仲がそれほど良くない関係の方が話しやすいかもしれない。そう思って彼女に話してみた。

「例えばっていう話なんだけど、突然ストリートで知らない人に君は生き別れの家族なんだ! ……って言われたら、流石に動揺するよね?」

できるだけ冗談だという風に話してみた。すると、エイプリルは私を慈愛に満ちた表情で見つめて言った。

「あのね、。ここはペンシルベニアの農場も山もない大都会ニューヨークなの。人口はおよそ90万人。それだけ人が多いと善人もいれば悪人もいる。そして、頭のちょっとおかしな人もいるわけ。全員がそうとは言わないけどさ、気を付けた方がいいよ」
「あはは、ほんとにその通りだよね……」

そう、悪人(モンスター)もいるし、善人(亀のミュータント)もいることを学んだ。そしてその二つの共通点は私とってはどちらも変人ということ。

***

やっぱり全部夢だったのだと、無かったことにするのが一番心身にいい気がしてきた。でも、気になるのだ。
私には幼少期の記憶がない。小学校に入る以前の記憶がすっぱりないのだ。記憶が切り落とされたような感覚。八年前、それはその記憶が切り落ちた時期とピッタリ合う。記憶が無いこととあの亀たちが何か関係しているのかもしれないと思った。
今の父さんと母さんは本当の両親じゃない。それはよく知っている。もしかして、彼らの言っていることは本当のことなんだろうか。
でも、また会うのは何だか億劫だ。あのオレンジ色のバンダナの子は親しげにしてくれたけれど、他の三人はそうでもなかった。特にあのレオという人は随分私に冷ややかだった。
はぁ、とため息をつく。家に帰って、自室で宿題のレポートを書くためノートを開いたけど、一向に進まない。
ふと、外の窓からこつこつと音がすることに気づいた。何だろうと思って、閉まっているカーテンを開くと声を上げた。

「あっ!」
「こんばんは、!」

それは昨日出会った亀の、オレンジ色のバンダナの子だ。確か、マイキーと呼ばれていた。ここは10階なのに、どうやって登って来たのだろう。戸惑いつつも窓を開けると彼は身を乗り出した。

「えっと、あなたは確か……マイキー?」
「僕の名前覚えててくれたの!?」

彼の名前を呼ぶと、ぱっと笑顔を見せた。すごく嬉しそう。

「そう呼ばれてたから」
「覚えててくれて嬉しいよ! 本当はミケランジェロっていうんだけど、マイキーでいいよ。お邪魔するね、わーすっごい広い部屋! ここに住んでるの? すごい高層ビルに住んでるんだね。ひょっとしてすごいお金持ち?」

彼はちょっと興奮したように早口で喋る。マシンガンのようだ。笑うのは失礼だから耐えながら答える。

「ううん、私じゃなくて父さんと母さんがね。私がすごいんじゃないの」

マイキーは私の部屋をゆっくり練り歩いて、こちらを振り返った。父さんと母さん、という言葉を聞いてちょっと寂しそうな表情を見せた。

「昨日はびっくりさせてごめんね。そりゃあ、急に亀のミュータントが家族だ、なんて言われたら怖いよね。僕らのこと、怖かった?」

マイキーは私の顔を覗き込むように言う。その目はよく涙でうるんできゅるんとしている。そんな目で聞かれたら「怖い」だなんて思っていても言えなかっただろう。

「それよりも食べられそうになった時の方が怖かった。全然怖くなんてないよ」
「よかった! ラフなんて怖がらせてしまったんじゃないかって、落ち込んじゃってさ。あ、一番体のデカいやつのことね」

頭の中で昨日の彼らの姿を思い浮かべる。赤いバンダナを身につけた、一番体の大きい人のことかと思い出した。

「ねぇ、あなた達と家族だったっていうのは本当なの?」
「本当だよ。まぁ、血は繋がってないけど、一緒に暮らしてた。本当に覚えてないの?」

うん、と頷いてみせると、マイキーは「そっか」と返答した。私に気を遣っているのかあからさまに表情に表してはいないけれど、残念そうだった。その様子を見るに、私たちが家族だったという話は本当かもしれない。でも確信が持てなかった。

「……ねぇ、。お願いがあるんだけど」
「お願い? 何?」

マイキーは少しもじもじとしながら私に伺う。

「僕らの家に来て欲しいんだ。日曜日はどう? もしかしたら、何か思い出すかもしれないし、他のみんなにももう一度会って欲しいんだ」
「え、でも……」
「それに、僕らの父さんもいる」
「あなた達の、お父さん?」
「うん、を保護した人だよ」

純粋に気になった。私には幼少時の記憶が全くと言っていいほどない。どんな人でも多少は子供の頃のことを覚えている。でも私には、小さい頃の記憶というものがないのだ。もしかしたら、彼らの父という人に会えば何か分かるかもしれない。
この奇妙な彼らがなぜ私を知っているのか、もしマイキーについていけば分かるかもしれない。そう思ったのだ。

?」

返事をする前に、部屋の扉の向こうから母さんの声が聞こえて驚いた。まずい、マイキーの姿を見たら母さんが卒倒する。すばやくマイキーをカーテンの裏に押し込んで背中に隠した。マイキーから「へぐっ!」と変な声が聞こえたけど構ってはいられない。母さんが扉を開けて、怪訝そうな表情で私を見る。

「何をしてるの? 話す声が聞こえたけど」
「え、えーと……友達と、そう、クラスの友達と電話してたの」
「そう、あなたにもやっとで友達ができたのね」

ホッと胸を撫で下ろす。母さんは私の嘘を信じたみたいだ。

「ねぇ母さん。週末出かけてもいい? 友達と出かけることになりそうで……」

聞くと、母さんはさらに笑顔になって私に近寄り抱きしめた。

「ああ、。ニューヨークに来てずっと不満しか言ってなかったから、母さん心配してたのよ。父さんにペンシルベニアへ戻ることを相談しようかと思っていたところなの。その様子なら心配ないわね」

え、母さんはペンシルベニアへ戻ることを考えてたの? それはぜひ前向きに検討して! ……と声を上げそうになったけど、とにかく今はマイキーが見つかる前に母さんを部屋から追い出さないといけない。

「と、とにかくもう出てよ! 友達と週末の予定立てないと!」
「はいはい、分かったわ。おやすみなさい」

おやすみ! 母さんのキスを受けて扉を閉める。ふぅ、この十分くらいで一気に疲労が溜まった気がする。

「マイキー?」

カーテン裏の物言わぬマイキーに声をかけるけど、返事はない。そっとカーテンを捲ると、そこにはもうすでにマイキーはいなかった。開きっぱなしの窓から夜風が吹いて、ひらりと一枚のメモが落ちる。

“十一時にこのビルの裏手で待ってて。週末を楽しみにしてるね!”

そのメッセージの下にイニシャルのMと、ウインクのアイコン。その可愛い文字にちょっと笑った。
一体どんな週末になってしまうのだろう。不安とちょっと不思議なドキドキした気持ちになりながら、ニューヨークの街並みを眺めた。

2023.10.14