Lost Utopia 10
先ほどの夢を引きずるように寝室を出る。なぜだか身体が寒く感じるのは、夢の中で抱きしめたのいなくなったあの感覚が残っているからだろうか。
「おはよう」
食堂に入ると、そのがいた。いつものように軽く笑いかける。彼女はポツンと座って食事をとっていた。一瞬これが夢かどうか判別できなくて、確かめるようにポケットに隠した自分の手の中で爪をたてる。痛みは確かにあった。
「……はよ」
「ここ座ってよ。私一人じゃ味気なくて」
力なく笑うはどこか寂しげだ。いつもなら周囲には誰かしらいたが、社交的な乗員たちは皆先々に降りてしまい、残るメンバーはしげみちやステラはさておき、社交的というには難のある者ばかりが残ってしまった。
勧められて断るのも忍びなく、座ったものの食欲はない。がちびちびとパンをちぎって食べているのを眺めることにした。
「なんだか、この船も寂しくなっちゃったね」
寂しそうにが言う。船に残っているのは七人。半数が去ってしまった。
「沙明はもうすぐ降りるんでしょう?」
そう聞かれて、自分の元々の目的地のことを思い出す。……そうだ、次の空間転移をすれば滞在していた星に辿り着く。
「ああ、この先の惑星で降りる。お前はどうすんだ?」
「私? 私は……もう少し残ろうかな。まだセツの手がかりも見つかってないし、何かまだ残ってるかもしれないから」
そんなもの、きっと何一つ残っていないだろう。それはもおそらく気づいていること。彼女もどうするか迷っているようで、口につけようとした持ち上げたカップはそのまま下ろしてしまった。
俺についてこいよ、と口を開こうとする。こんなに一人に執着することはこれまでになかったのに自分でもどうしたんだと戸惑う。しかし、ここで言わなくては。これっきりになると思うと、離れたがくて彼女を側に置かせたい欲が込み上げてくる。
「もうお前の幕は降りました。出過ぎた真似など、もはや不要ではなくて?」
全てを冷酷に引き裂くような声に二人は顔をあげてそちらを見た。
「……夕里子」
「本当に終わってしまったの?」
夕里子もも何に対して言っているのか主語を言っていない。しかし、通じているようだった。
「二度も同じことは言いません。お前が“終わった”と定義するのなら、そうなのでしょう」
「……終わりなんて、思いたくない」
「ならば、足掻いてみなさい。ふふ、お前がどこまで辿り着けるか楽しみですね」
夕里子は滅多に見せない笑みでを挑発する。に気を害した様子はない。
「行けると思う?」
「知らぬこと。ただ一つだけ言えることがあるとするならば──お前の存在が“終わった物語”に取り残された因果そのものだとするなら、その身がここにある限り、因果はまだ終わっていないのでしょう」
「……は? 何のこっちゃ」
夕里子が何の話をしているのか分からず、思ったことを沙明が口にする。夕里子はそれに対して返答をしなかった。
「……ここには長居しすぎました。この身は去ることにしましょう」
「船を降りるの?」
「お前がここにいるのなら承知のことでしょうが、この身は”逃亡者“。用がなければ立ち去るだけのこと」
夕里子は言いたいだけ言って去ってしまった。取り残された二人はポカンと呆けたまましばらく動けなかった。先に口を開いたのはだった。
「……まだ、終わってない」
がそう呟く。自分に言い聞かせるような声音に、嫌な予感がする。今の会話での迷いを定めてしまった。再び彼女が自分の腕の中からいなくなったあの感覚が蘇ってくる。
が席を立った。
「ちょっと、聞きたいことがあるからもう行くね」
どこへ、誰にとは言わない。しかし、すでに何をするべきかわかっているようだった。彼女が立ち去ろうとするのでその腕を掴んだ。が驚いたようにこちらを振り返る。
「沙明?」
「もういいだろ」
は戸惑っていた。少し身を引いたので、沙明も立ち上がって向かい合う。
「もうどこにも行くなよ、俺がいるだろ?」
自分らしくない、情けないくらい余裕のない声が出た。しかし、構わなかった。懇願するような声には嬉しそうに笑って沙明の手を握る。まるで沙明の気持ちを全て分かっているような笑みだ。彼女はどこまで気づいているのか。
「やっぱり優しいね、沙明は。これまで出会ってきた沙明はみんな優しい人だった」
「俺は俺でしかいねェんだよ。どこの男のことほざいてんだクソ……」
「それでも、あなたが優しい人だってこと、私は知ってる。だけど、私はセツに会いに行きたい。セツのループを終わらせたいから。だから、行かなくちゃ」
の身をぐっと強く引いて自分の腕の中に収める。身体の小ささや、体温は夢の中の時と同じもので、さらに離しがたくなる。は何も言わなかった。拒絶されるかもしれない、その恐れが脳内に過る。すると、彼女は応えるように沙明の背中に腕を回して優しく撫でた。
「ありがとう沙明。私のことを想ってくれて」
ごめんとは言わない。の体は、夢と同じように温かく心地がいい。腕の力を強めても、は何も言わなかった。
2025.09.15
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