Lost Utopia 09
シピ・コメット、ジナ・SQが下船する時もそうだったが、は毎回長い時間をかけて別れを惜しむ。少し前まではただそういうタチなんだろうと、それほど気にしてはいなかった。しかし彼女からループの話を聞いた今では印象が違う。ループしてきたとはいえ、にとって長い間共にいた仲間だったのだろう。時には敵だったかもしれないが、は一人一人言葉を交わして別れを告げる。
海洋惑星ナダの港に辿り着くと、オトメとククルシカは下船準備を始めた。ナダへ近づくたびに喜んでいたオトメだったが、今日は落ち込んでいる様子だった。
「ナダに帰れるのはとっても嬉しいんですけど、この船を降りるのはなんだか寂しいんです。ここの人たちみんな優しかったから、別れ惜しくて」
心優しいオトメらしい理由だった。しかし、だからと言って残る理由もない。オトメは水の満たされたヘルメットの中で笑った。
「それに……キュ、何となくなんですけど、みんなと初めて会った気がしないんです。どこかで会ったような気がして。だからすぐに仲良くなれちゃったのかなって」
オトメの言葉にククルシカが頷いて続けて何かジェスチャーをしニコリと微笑んだ。
「キュ! ククルシカさんもそんな気がしてたって!」
「奇遇だな、それ俺も考えてたんよ! もしかしたら前世の記憶とかそういうのかもしれんな!」
ワイワイと彼らは賑やかに話している。それを聞きながら、そういえばコメットも似たようなことを言っていたことを思い出す。ふいにを見る。彼女はそのことに対して言及しないが、二人に他の話題を振って別れを告げている。
沙明が夢で他宇宙の出来事を追体験するのと同じことで、乗員たちが無意識にそう感じているのではと予想した。夢としてあんなに鮮明な体験をしているのは沙明だけかもしれない。それでも、そう考えずにはいられなかった。
***
懐かしい夢を見る。もう二度と見たくないと思っていた子供の頃の夢。友人として家族として、共に過ごしてきた“みんな”が処分されるあの日の夢。
あの頃はまだ子供で、偉いヤツらの言うことを聞くしかない大人たちよりもさらに弱い立場の自分では何もすることができなかった。ただみんなを見送ることしかできなかった。最後に触れた彼らの指先が硬く冷たかった。その感触は今でも忘れられない。
グノーシアになった日から毎日こんな夢を見る。だから夜眠るのは嫌でたまらない。夢を見ないよう昏睡するほど粘るか、酒で逃げることもある。
指先を見つめる。先ほどの空間転移時、オトメをこの手で消した。指先にその感触はもう残っていない。……そういえば、つい先ほどまでオトメとは笑い合って雑談していなかったか? 違和感があった。
着替え終え、部屋を出るとばったりと出会した。彼女もこちらに気づく。
「おはよ沙明。無事だったんだね」
「ッハハー! お前も消されなくてラッキーじゃねぇか!」
「うん、誰も消されていないといいけど……」
そう言うに内心「白々しいこと言いやがって」と悪態ついた。はエンジニアを騙った狂信者、AC主義者であることを沙明は知っている。前日、エンジニアとして沙明を調べたところグノーシア反応は探知されなかったと彼女は言っていたのだ。
もう一人のエンジニアが本物であることは分かっている。このままにはエンジニアとして騙ってもらい、議論を乱す役目がある。一応味方ではあるが、彼女がコールドスリープされたとしてもグノーシアが生き残れば構わない。
せいぜい、俺らを生かすために活躍してくれよ、チャン。彼女の背中向けて心の中でつぶやいた。
は議論を錯乱させるためによくやってくれている。しかし、はコメットほどではないにしろ嘘が苦手だ──そういえば、何でコメットが嘘が苦手だということを知ってんだ……?
偽物のエンジニアであるということはもう何人かにバレているだろう。議論を終え、娯楽室に向かうとすでにがそこにいた。ソファの上で丸くなり、顔を手で覆っている。
「お疲れみてーだな」
「……沙明」
声をかけられたが顔を上げた。彼女の表情は暗い。誤魔化すように笑ってソファの場所を空ける。空いた場所に座って顔を覗き込むと、焦燥した顔をしていた。
「何だか少しだけ、疲れちゃって。……私を信じてくれない人もいるみたいだし。レムナンは私を信用してないね。偽物だと思ってる」
実際偽物だしな。とは言えなかった。たとえ彼女がAC主義者と分かっても、自分がグノーシアであることは明かせない。LeViが聞き耳を立てている可能性もある。
「信用されないことはやっぱり辛いよ。嘘だと思われてるんだもの。誰にでも好かれたいわけじゃないけど……直接嫌悪的な感情を向けられるのは……」
「へいストップ」
軽くの頬を引っ張る。痛くならない程度の強さだったが驚かせるのには十分だったようで、面白いほど飛び跳ねる。
「なにすんの?!」
「ここは議論する場じゃねーんだ。もっとイーズィに行こうぜ。あんまここでべらべらしゃべっと自分の首を絞めることになるかもしれねージャン? 口は災いのンーフーンって言うだろ」
「そ、それもそうだね」
沙明の言いたいこと、LeViが会話を聞いている可能性に気づいたらしい。ハッとしたはそれ以上余計なことを言うつもりはないらしく、口を硬く閉ざす。しかし、目に見えて落ち込んでいるのを見て、放っておけなかった。の肩に腕を回すと驚いたようにこちらを見た。
「肩の力抜きゃいいんだよ、気楽に行こうぜチャン」
「な、なに……?」
「何だったら俺の胸くらいいくらでも貸してやるぜ?」
キメ顔のつもりでを見ると、キョトンとした表情をして吹き出すように笑った。別に受けを狙ったわけじゃねーんだけどな。と思った時だった。とすんと肩に重みがかかった。が頭をこちらに預けてきたのだ。
「たまにはこうして甘えるのもいいのかもね」
彼女の言うたまに、という意味が分からないが沙明を動揺させるのには十分だった。まさか本当に貸すことになるとは思っていなかった。適当にあしらわれるものだと思っていたのだ。
それくらい、が思い詰めていたということなのだろう。これくらいの役得はバチが当たらないはずだ、と彼女に回した腕はそのままにする。
「心配すんなって、アンタのことは心の底から信じてっから」
「ふふ、うん……信頼されないことは辛いけど、でも信頼してくれる人がいるのは心強いよ」
と触れているところがじんわりと温かくなる。これが嘘つきの狂信者の身体か? こんなに暖かいのに。
彼女と初めて出会ってそれほど時間は経っていないはずだが、愛おしさを感じる。人が誰かを愛するのに時間は関係ないとどこかで聞いたことがあるが、こういうことなのかもしれない。
***
苦戦はしたが、人間をコールドスリープに追いやり、グノーシア側がこの船を占拠した。どこかで疑われてコールドスリープさせられるだろうと思っていたもここまでどうにか粘った。
「よぉ、AC主義者サン。どうよ生き残った感想は?」
展望ラウンジにはいた。天井に写し出された天体を見ていたらしい。沙明を振り返り、小さく笑う。
「うーん、生き残れて嬉しいよ。それで、沙明は私を消すの?」
「は……?」
消すのかと問われて困惑する。グノーシアに消されることを望むAC主義者ならば、それを考えるのも自然だろう。だが、沙明にそんな発想は全くなかった。問われて、欲が込み上げてくる。と消したくないのに消したいという矛盾した気持ちがせめぎ合う。
「俺は……」
ふいにの姿が消えた。消えたのではなく、沙明を優しく抱きしめた。彼女の体温が少しずつ伝わってくる。その熱を求めてその小さな背中を抱いた。
「俺はどうしたらいいんだよ? このままだとアンタを消しちまうよ、なぁ」
「どちらでもいいよ。沙明の好きにしたらいい。グノースの供物になるなら私は本望だし、沙明のそばで生きていられるのも嬉しい。だから、沙明の好きなほうでいいよ」
の体は温かい。その心地の良さに冷たく尖った思考が次第に溶けていく。この温かい体が今自分の腕の中にあると思うと全てがどうでもいいという気さえした。
このまま、二人で消えてしまおうか。そこはグノースの支配も及ばない世界かもしれない。そこで、二人で生きながらえる。
「このまま、二人で逃げちまうか」
思ったことはすぐ口に出ていた。が薄く笑ってこちらを見上げる。
「逃げるってどこに?」
「知らねーけど、誰もいないトコ。そこでなら、こんな気持ちにならなくたっていいし、アンタといるのも悪くねーかなって」
「……それは、すごく楽しそう。でも、無理なんだ」
「は? どういう……」
「私はもうこの宇宙から消えるの。グノーシアに消されるわけじゃない。また違う宇宙に行かなくちゃいけない」
腕の中にある体温は温かく、確かにそこにある。しかし、底知れぬ冷たいものが沙明の身体を冷やして行った。
「だから、沙明とはもうお別れしないと。次に会う沙明とはまた味方同士だったらいいけど。そういうわけにもいかないから」
「おい、俺を置いていくなよ」
「ごめんね、沙明」
、と名前を呼ぼうとすると腕が宙をかいた。その中にの姿はもうなかった。
***
目を覚ませば、見慣れた天井がそこにある。投げ出された手の付近には睡眠薬の包みが放置されている。自然と溜まった涙がひとりでに落ちていった。ぼんやりした頭で「ずるい」という感情が湧き起こる。
が何度も宇宙をループしてきたというのなら、俺たちの関係値はずっと変わらない0のままだったということになる。味方同士だったのが次にループすれば敵、ということだってある。ループすればまた初めましてから始まり、この関係性は埋まらず0のままだ。
しかし、「セツ」はどうだ。そいつはと同じようにループをしていたという。であれば、ループするたびに敵でも味方でも、共に過ごした時間は積みかさなっていく。
そりゃあ、あいつにとって特別な存在なはずだ。映画を見た時のの笑みを思い出す。あれは自分に笑いかけたものではない。セツに笑いかけたものだ。
叶うわけがない。この宇宙の自分はの何者でもないのだから。
2025.08.03
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