Lost Utopia 08
「……オレさ、ここだけの話、リトルグレイなんかもしれん」
しげみちの唐突の告白にその場が一瞬凍りつく。口を開いたのはだった。
「しげみちさぁ、昨夜“未知との遭遇”見たでしょ」
「いや昨日あれ見て衝撃的だったんよ!」
「あんまり真に受けないほうがいいよ。あれ宇宙開拓時代よりずっと前に作られた映画なんだからさ」
そう嗜めるの表情は少しからかいを含んだ、楽しげな表情をしている。
SQとジナが降りてから数日が経った。あの夜のことは沙明にとって未だに脳にこびりついている。あの時はあんなにビービー泣いてたのにもうピンピンしてら……と呆れたようにとしげみちのやりとりを聞いていた。
「なぁ、他にこういう映画なんかないか?」
「この時期SFブームになってたから名作は色々あるよ。これとかどう? 悪者の父親とその息子が宇宙で大喧嘩する話なんだけど」
「ほーん……んじゃあこれ見てみるか! 今日の夜、展望ラウンジ集合な!」
「オッケー」
それまで二人のやりとりを聞いていただけの沙明だったが、そこで思考が一度止まった。今、こいつら何を約束した?
「……ヘイ待て待て。その感じ、あんたら今日が初めてじゃねーな?」
「バレちまったら仕方ねーな。俺らで映画同好会作ったんよ! まぁ、この船にいる期間限定だけどな!」
「主に地球のオールドムービーだけどね。私の手持ちアーカイブにたくさんあるの」
あっけらかんと二人は語る。その二人の口ぶりからしてお互いに純粋な友人同士として映画を楽しんでいるらしく、何か意味ありげな雰囲気は全くない。……しかしだ、仮にも男と女二人きりで映画。しかも相手はしげみちだ。動揺が抑えられない。の「沙明も見る?」という誘いにいつの間にか返答を返していた。
「沙明もこういう古典映画に興味あるなんて知らなかった」
展望ラウンジでは機材を慣れた手つきでセッティングしていく。手慣れているということは何度もこうして上映会をしていたということだろう。それを胡乱げに眺める。その背後では席についたしげみちがコーラやポップコーンなんかを用意している。調理用プラントで合成したらしい。
「興味ねーよ」
「え、じゃあなんで……」
「ほっとけ」
実際、自分でもよく分かっていないのだ。しげみちなんかが女と二人きりで映画というのを邪魔してやりたいという気はあった。だが……もし、これが以外の女だったら邪魔していただろうか。自分でも認められない思いに苛立っていた。背後でしげみちが「早く見よーぜ!」と声をかけたところで上映を始めた。
映画は大昔に作られた古典映画だった。シリーズものとしてタイトルの多い有名作だが、クオリティとしてはかなり前衛的である。現代の派手な映画しか見ない沙明にとって非常に退屈な内容だった。しかし隣の席の、さらにその向こうのしげみちは映画の世界にすでに入り込んでいるらしく、じっと画面を見ている。
……なんでこのメンツで映画なんか見てんだ? 生まれてきた疑問の答えが見つからない。
映画が中盤に差し掛かった頃、突然隣からガタンと音がした。しげみちが立ち上がった。
「ちょっと俺トイレ行くわ!」
「止めとこうか?」
「ダッシュで行くから見といてくれ!」
やや駆け足でしげみちは展望ラウンジを去っていく。トイレ近すぎるだろ……と内心で悪態ついて、再び退屈な映画の画面を見る。
「……ループを繰り返してた時、あるループでこうしてセツと映画を見たことがあるの」
ふいにが口を開いた。の口からセツの名前が出るとなぜだが心臓が締め付けられるような痛みを感じた。それが何かは分からず受け流すつもりで「フーン」と何てことないように返す。
「セツってね、映画を見たことがなかったんだって。結局途中で寝ちゃってさ」
はくすくすと笑う。何がおかしいのか分からない。懐かしむの目線は映画を見ている。しかし、その先にはきっとセツが思い浮かんでいるのだろう。その笑う表情に痛みは強まっていく。
「議論をサボっちゃったから、その後コールドスリープしちゃったんだけど……楽しかったな」
きっと、は沙明といる今ではなく、過去のセツとの時間を愛しんでいる。
以前から分かっていた。はセツのことを想っている。しかし、この宇宙にその人はいない。いないヤツのことを思っても仕方がねーだろ。そう言ってやりたいが、それを言えば、彼女は傷つく。ぐっと言葉を飲み込んで違う言葉を言いかける。……俺じゃダメか?
「ふぃー! どうだ、名場面にまで間に合ったか?」
「うん、まだ大丈夫だよ」
タイミング悪くしげみちが帰ってきてしまった。内心でしげみちに「この野郎……」と罵倒する。
「しげみち、ちゃんと手洗った?」
「心配すんな! アルコール消毒までバッチリだ!」
「……って、お前ら何手ェ繋いでんの!?」
思いがけないことに大声でツッコんでしまう。さも当然のようにしげみちとが手を繋ごうとしていたのだ。
「おいおい沙明知らねーの? 映画を見る時は手を繋ぐのがエチケットだろ?」
「知らねーってかねぇよ、んなの!」
「もういいから早く見ようよ」
は早く映画に集中したいらしく、沙明に座るよう促す。何でお前もそれを受け入れてんだと悪態つきたくなるが、ぐっと飲み込んで立ち上がる。
「、席変われ」
「え、なんで……」
「いーから! くそ、んでしげみちなんかと手握らなきゃいけねーんだ……」
狼狽えるを自分の座っていた椅子に押し込み、真ん中に座る。しげみちはすでに映画に夢中でこちらに気づいていないが、手を差し伸べてくるので仕方なく握る。もう片方の手をに差し伸べた。
「おら、手」
「沙明、無理して手繋がなくてもいいんだよ? しげみち、映画に夢中で気づいてないし」
「何が悲しくて野郎と手繋いで映画見なくちゃいけねーんだ、お前で中和すんだよ!」
「ええ……」
沙明の勢いに若干引いているらしいだったが、おずおずと手を差し伸べてきたのでそれを逃さまいと握る。想像以上に小さな手だったので一瞬戸惑ったが振り切るように前の映画に集中する。
自然とも映画に再び集中し出したらしい。何も言わなくなった。ちらりと隣のを盗み見る。部屋は暗く、映画の映像が反射して彼女の目をチラチラと映している。こうして見ると、意外との顔が幼く見えた。いつもと違う雰囲気だからだろうか。
しげみちの手はほっそりしているがやけに汗でベタついていて、濡れたリノリウムに触れているようだったので、そちらにはあまり意識を向けないようにした。一方の手はうんと小さく感じた。身長は一般女性の平均身長とそれほど大差ないはずだが、自分の手に収めるとその小ささに笑いが漏れるような可愛らしさがある。
ふいに、少しの手を強く握りしめた。すると、彼女も強く握り返す。まさか握り返されると思わずもう一度盗み見るが、彼女は映画に夢中だ。きっと、反射的に握りしめたのだろう。たったそれだけのことなのにドキリとさせられる。
(あー……なんだこれ)
心臓は相変わらず早く打ちつけていく。今、二人が映画に夢中で良かった。きっと、情けない顔をしているだろうから、それを誰かに見られたくはなかった。
2025.07.06
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