Lost Utopia 07
何とかの在留が認められたが、ステラは何度も確認した。の気持ちは変わることがなく、結局ここで降りるのはジナとSQの二人だけだった。
「本当に、良かったの? 」
荷物を下ろし終えたジナは振り返って見送るに聞く。それに対しては頷いてみせる。
「うん……もうちょっとこの船にいたくて」
「そっかー、SQちゃんともっと遊びたかったのにな……」
SQの声が少しずつ尻すぼみになっていくので二人は彼女を見る。その途端にSQの目からポロリと涙が落ちた。
「え、SQ……!?」
「大丈夫?」
「あ、あれ? えへへ、また会えないかもって思ったら……何だか……寂しくなっちゃったのデス……」
自分の涙を自分の服の裾で拭おうとするところをジナがハンカチを手渡してやる。もう片方の手をが握りしめた。
「また会えるよ、SQ。地球は私の故郷だし、絶対に帰るから」
「……よかったぁ!」
「わっ」
SQが唐突にに抱きつく。突然で一瞬よろめいただったが、すぐに彼女の背中に手を回して抱きしめ返した。
「またSQちゃんと遊んでネ? 約束だよ」
「うん、約束ね。覚えてるよ」
その言葉にSQは満足したのか、次に体を離した時、彼女は笑顔だった。
は二人との別れを長い間惜しんでいた。その様子を遠巻きになって沙明が見ていた。
***
全てのグノーシアがコールドスリープしました──。LeViは確かにそう通知した。メインコンソール室へ向かうとそこにはの姿があった。、と名前を呼ぶとくるりと振り返る。様子がおかしい。
「ごめんね」
いつだったかもそう謝られたな。何をして、何をされて謝られたのかはもう覚えていない。
「もうこの宇宙は崩壊するの」
「何ワケわかんねーことを……」
「バグがいる宇宙は、全てのグノーシアをコールドスリープさせる前に、バグを先に始末しないといけない」
視界の色が澱んでいく。視界が澱んでいるのではない。が濁っているのだ。皮膚や髪や服の色が全て入り混じるようにまだらの色になっていく。
「そうしないと、宇宙が壊れるの。もう、この宇宙はダメになっちゃった」
の顔がアイスクリームのように溶ける。目が鼻が唇が、形を失っていく。
「」
最後にパチンと何かが破裂するような音がした。それが宇宙崩壊の音ならなんてあっけない終わり方だろう。
***
目を覚まして思わず顔を手で覆った。ここ最近で見た夢の中で一番サイコで気持ち悪い夢だと、げんなりする。
どうやら浅い眠りだったらしい。カプセル内の小型デスクに睡眠薬の包みが放置されているのを見て、薬の飲み忘れに気づいた。まだ朝の時間まで数時間ある。今更飲んで眠るほどでもないし、あんな夢を見たあとでは寝直す気にもなれなかった。結局起きることにして、カプセルの戸を開けた。
食堂へ向かい、調理用プラントを使って何か合成しようかと考えながら入り口に立つ。自動で入り口が開けられると思わず入るのをためらった。食堂の席に誰か座っていた。こんな夜中に、しかも椅子の上に膝を抱え頭を埋めている。驚かせやがって……と心の中で悪態つきながらわざとらしく靴の踵で床を蹴るように歩けばはっとその人物は顔を上げた。その顔はだった。目や鼻などのパーツはちゃんと揃っている。
「沙明、どうしたの? こんな時間に」
「そりゃこっちのセリフだわ! アンタこそ何してんの」
「ちょっと、眠れなくて。お茶が飲めるようになってるから蒸らしてる最中だったんだ」
の前には嗅いだことのあるお茶の匂いがするカップが置かれていた。話の流れで向かいの席に座った。はもう一つカップを用意して沙明の前に置いた。
「沙明、ごめんね」
唐突に謝られて心臓が飛び出そうなほど高鳴った。先ほど見たばかりの夢がダブり、ゾッとする。の顔をじっと見るが彼女の顔が溶けることなく、いつも通りの顔がそこにあって胸を撫で下ろした。彼女の顔は申し訳なさそうに笑っていた。
「この間、変なこと言って気味悪がらせちゃって……ごめんね」
「お前さ、ゴクアクニンか何かなの?」
「え?」
「俺にちょっとキメェって思われるくらいで謝ってよ。今更だろ?」
「でも……沙明を不快にさせたのは本当だし」
「ハッ、あんくらいで謝ってたら俺なんて土下座しねーといけなくなるっつーの。いちいち気にしてんなよ」
その言葉になぜかが吹き出して笑った。そんなに今の話の中に面白いところがあったのか、沙明には分からない。
「ふふ、ほんと……その通りだね。土下座しないといけなくなるかも」
「お前が何をそこまで許されたがってるのか知らねーけど、悪いことしたって思ってなけりゃもういいだろ?」
その言葉に、の笑顔が固まった。こわばった表情で彼女はお茶を一口飲む。
「……私は本当は許されたいって思ってるのかも」
「は?」
「セツは私のためにループを続けてる。私が続けさせてしまったの。あの時、セツが扉を開いて去るとき、止めていれば何か違ったのかもしれない。でも、行かせてしまった」
の両目からボロボロと涙が落ちてきてギョッとさせられた。まさか泣くとは思っていなかった。
「おいおい泣くなよ、ガキじゃあるめぇし!」
「な、泣きたくて……泣いてるわけじゃないし」
「だったら泣くなよ……こういうの苦手なんですけど」
沙明は涙を止める術がとっさに見つからず、自分の着ているシャツの袖でその涙を受け止めてやる。その涙は何の変哲もない透明色で、沙明の袖口を濡らすだけだ。昼間は得体の知れない生き物のように感じていたが、こうして涙を拭いてやるとただの女の子にしか見えない。
ただの女だったのだ。それがループという長い長い時間と体験を経て、彼女を変えた。そんな彼女が罪悪感に苛まれて無防備に泣いているのを見て、力が抜けた。拍子抜け、という感情が一番近いかもしれない。
涙を拭うには机が邪魔で、回り込んでの隣に座り、その肩をさすった。次第にの涙がおさまってきたのを見て、再び言葉をかける。
「そいつは死んだわけでもねぇし、グノーシアに消されてもまたループすんだろ? 生きてりゃまた会えるさ」
「うん……」
「もしダメでも、そんときゃ俺んとこ来れば? ついてきても止めねーから」
「うん……」
……いつまでそうしていただろう、それほど時間は経っていないが、が淹れたお茶はすっかり冷えてしまった。隣のは沙明の肩口を枕にして眠っている。その寝顔を覗き込んで薄くため息を吐く。
「人の気も知らねーで呑気に寝ちまって……ってか無防備にも程があるんじゃねぇの?」
俺の性質、嫌というほど知ってるのならナニされても文句言えねぇんじゃね? とに問いかけたくなる。しかし、寝息しか返ってこないだろう。
改めての寝顔をじっと見る。閉じられた目や口や鼻があるべきところにちゃんとあり、何の変哲もない顔がすぐ目の前にある。瞼の上の細かいまつ毛を数え、わずかに開いた唇の形を眺める。
……いやいやいや。何考えているんだ俺。と我に帰る。むくむくと湧いて出てきそうになった不純な感情を振り切るように再びため息をついた。の肩に手を置いて慎重に横抱きにする。そのまま彼女の個室に連れて行った。扉の前までたどり着いたが、扉はタッチ式でパネルまで手が届かない。
「……おい、LeVi見てんだろ? 手塞がってんだから開けてくれ」
“も、申し訳ございません。すぐ開けます”
きっとずっと見てたのだろう。自動で開いた部屋に入り、をベッドに寝かせる。ここまで結構揺れたはずだが、起きる気配が全くない。寝顔は穏やかだ。
一体、どんな夢を見ているのかは分からない。しかし、もうあんなグノーシアだのなんだのが関わる苦い夢は見ていて欲しくないものだとの額にかかった髪をひと撫でして部屋を出て行った。
2025.06.19
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