Lost Utopia 06

沙明やたちが乗っている星間航行船D.Q.Oはまもなく銀河系へ辿り着く。その端の星に地球への往復船が定期的に出ているため、地球で降りる乗員はここでお別れすることになる。
下船予定はジナと彼女についていくことにしたSQ、そしてジナと同じく地球に実家があるというだった。
はルゥアンのグノーシア事件より以前の記憶も失っている。少しずつ記憶は戻りつつあるが、治療を受ける必要がある。この辺りのことはジナが病院に付き添うと名乗り出てくれた。必要な書類や診断書はステラが用意してくれた。これで医療機関への治療と保護を受けられる。
ロビーでステラの説明をジナと共に聞いていたは次第に表情を曇らせていく。机の上には自分の症状がこと細やかに書かれた書類があり、それをじっと睨みつけているとジナが名前を読んだ。

「……? どうかしたの?」
「え?」
「何か不安点はございますか? なんでもおっしゃってくださいね」

ステラは優しく微笑んでを見つめる。はしばらく言いづらそうに「ええと……」と口籠るが、二人が言葉を待っている様子に息を吐いて口を開いた。

「ここまでしてもらって申し訳ないんだけど……もう少しこの船に乗ってちゃダメかな?」
「それは……地球に帰らないということ?」

ジナが聞き返して頷く。すると、ステラは少し苦い表情になり、優しく語りかけた。

「それはおすすめいたしかねます。様の記憶はまだ完全に回復したわけではありませんし、せめて医療機関の診察を受けるべきです。ここの機材では限界もありますし……この船に滞在するにも理由もなく乗船を続けることは許可いたしかねます」
「何か、理由があるの?」
「え?」
「突然だし何か、特別な理由があると思ったから」

ジナに問いかけられ、は再び言い淀む。今度こそ、本当のことを言いづらそうにしていた。そんなの肩に手を置いて「俺と一緒に来ることになったからだよ」と声が振ってきた。

「……??」
「そ、それはどういうことですか? 沙明様」

が後ろを見上げると沙明が円満の笑み……と言ってもどこか胡散臭さのある笑いだが、彼がそこにいて驚かせた。沙明とそんな話をしたことはない。

「こいつ無職プーになっちまっただろ? だから俺の仕事を手伝うかって提案したらノってくれたってわけ。つーわけだから、ヨロシク頼むぜ! イェア!!」

テンション高々と告げる沙明にジナはぽかんとして、ステラは困惑を隠せないようだった。

「ま、待ってください! そんな急な話……こちらもすでに様の下船手続きを申請中ですし、急な変更は困ります! 様もどうしてお話ししてくれなかったのですか?」
「え!? ええと……」

急な話しすぎて、ステラに問われても何も言葉が出てこない。戸惑っていると、急に沙明の距離が近くなった。彼が屈んで肩に腕を回してきたのだ。

「ヤボなこと聞くんじゃねぇって! つまり、こういう仲になったってワケ。ドゥーユーァンダスタン?」
「……へ?」

沙明の突然の告白にの脳内は真っ白になる。ジナは少し驚いた様子だがほとんど表情は変わらない。それとは対照的にステラは頬を赤く染めて「まぁ!」と声を漏らす。

「まーそういうワケだから。あと頼んだわ! 俺たちはこれから未来をシッポリ語り合わなくちゃいけないんでね」

沙明はの肩に腕を回したままロビーから連れ去る。一体何が起きているのかわかっていないは促されるだけだった。

***

「……それで、一体どういうことなの?」
「どういうことって何がだ? ダーリン」
「誰がダーリンだ! というかいつまで腕回してんの!」

ロビーから離れ、やっとで意識の戻ってきたは沙明の腕を振り払う。それを沙明が「冷てぇの、せっかく助けブネ出してやったのによ」とブツクサ言う。

「アンタがこの船に残りたがってたからな、あー、ただの気まぐれってヤツ? それともマジでシッポリするってか? ……いいぜ、来なよ、俺んとこに……」
「それは遠慮しとく。……まぁでも、とりあえずありがと」

は胸を撫で下ろす様子に、沙明は以前から思っていたことを聞いてみる。

「……んで、探してるものは見つかりそうか?」

一度はどうだっていいと考えるのをやめたことだった。しかし、再び蒸し返したのは、単なる好奇心か彼女がどんな反応をするのか加虐心に近いものを感じたからか、沙明は自分でも分からない。
が船に残りたがっているのはおそらく、その探していた人物が関係していたのではないかと予想した。そして、おそらくその人物こそあの夢の謎の影だったのだろう。
その言葉はを十分動揺させるものらしかった。彼女の笑みは消え、こわばったようにこちらを見た。

「……どうしてそう思ったの?」
「アンタ前に聞いただろ? 誰かのことを船内のヤツらに聞いて回ってた。名前は忘れたけどよ」
「セツだよ」

そう、セツ。たしか聞かれたのはそんなような名前だった。確かにあの時は「セツを知らない?」と聞いてきたのだ。しかし、名前を思い出しても心当たりはなかった。

何でアンタがそこまでそいつにこだわるのか知んねーけど、どうせもう死んでるだろ? ルゥアンでグノーシアに」
「セツは生きてる」

は沙明の言葉を遮るように言った。断言するように強い語尾だった。は沙明を睨む。

「私の知ってるセツは生きてるの。ここじゃない他の宇宙で」

その言葉はの希望や想像で言っているものではなく、それが真実だと言うかのようだった。その断言に少しからず不快感を抱いた。

「そこまでっつーんなら、根拠があんだよな?」
「……」
「おかしいと思ってたんだよ。……お前、何を知ってるんだ? ゲロっちまえよ」
「……信じてもらえるとは思ってないけど。……いいよ」

の話は、おおよそ信じられないものだった。と“セツ”は銀の鍵に寄生され、それによって別宇宙の同じ場所のループを繰り返していたこと。毎回条件が変わる環境でグノーシア探しの議論をしながら銀の鍵に与える情報を集めていたこと。そして、この宇宙での銀の鍵とパンドラの箱にいる“”と共にセツが旅立ち、再びループを繰り返していること──。

それまで、何も変哲もない人間に見えていた彼女が、得体の知れないモノに感じた。自分の中の常識を遥かに超える事実に頭が追いついてこない。
は、これまでのループを経て沙明を知っているという。味方の時もあれば、敵同士だったこともあった。騙し騙されたりしながら互いを知っていった。しかし、次の宇宙の沙明はそれを知っているわけがなく、だけが記憶を受け継いでいる。
一方的に自分のことを知られていることに気味悪さを感じてならない。……自分を侵食されているようにさえ感じる。沙明はわざとらしくため息をついて嘲笑してみせた。

「……ぶっ飛んだ話すぎてついていけねーよ」
「沙明、あの」
「つまりアンタは“他の宇宙の俺”を知ってたってことだろ? こっちからしてみりゃストーカーみてぇで気味がワリぃよ」
「ストーカーなんてしてない!」

が強く否定するがこれ以上話をしたくなくなった。へぇへぇとおざなりに返事をし、立ち去ろうとした。

「ワリーけど俺にはどうしようもできねぇわ。アンタ一人でどうにかするんだな」

去り際にそれだけを言って無理やり会話を終わらせた。これ以上と会話をしたくなかった。話すと、自分の心まで彼女に見透かされそうだ。これ以上、自分を侵食されたくない。
たかが夢だ。そう言い聞かせてもなぜこんなにも胸がチリついて痛むのだろう。こいつは“俺自身”を信用していたわけではない。あの時の"他の宇宙にいる沙明”を信頼したのだ。変わらず信頼しているのはそのセツとかいう声も顔も知らない存在だけ。

2025.05.18