Lost Utopia 03
ステラからもらった薬を手で弄びながら医務室を出ると、声が聞こえてきた。通路にあるロビーから聞こえてくるもので、少し顔を覗かせるとラキオとが何か話し込んでいる。
ここからでは何を話しているかまでは聞き取れない。微かに単語が聞こえてくるが、何の話かまでは検討がつかなかった。
ラキオがいつもの調子で長々と何か話している。何かを否定するような口ぶりで、それに対してはわかりやすく表情を暗くさせている。彼らが何を話しているかを知るにはロビー内に入れば分かるだろう。しかし、そうまでして知りたいわけでもないし、ここを通りがかったことを知られるのもできれば避けたい。
ステラからもらった白い錠剤を舌の上にのせ水で飲み込む。硬いものが喉を通っていくのを感じながらごろんとベッドに寝転がった。目と鼻の先に天井がある。それを眺めながら、過去の記憶を辿った。
ルゥアンを無事脱出したことで、食堂でちょっとしたパーティーをした。ほとんどの乗員が参加し、飲み食いを楽しんだ。
その時、沙明はに声をかけられた。彼女は何か焦っているようで早口で話しかけてきたのだ。彼女は誰かを探していた。尋ねられたが女ではないということで適当に返事をしたのだろう、その後の会話は思い出せない。
たしかあの後、は周辺の人らにも尋ねて回ったがその人物を知る人は一人もいなかったらしい。尋ね終えた彼女は項垂れるようにソファに腰掛けていた。顔を少し俯き気味で心ここに在らず、というような表情をしていた。そんな彼女の横にジナが座り、何か慰めの言葉をかけているのを見かけた。
あの時、は誰を探していたのだろう、今も探しているのか。漠然とした疑問はそれほど沙明に深い好奇心を与えるものでもなく、すぐに興味は失せた。その思考は強まってきた睡魔によって中断させられた。
***
「ドクター沙明」
その声にはっと顔をあげるときょとんとこちらを見下ろすの姿があった。どうやら娯楽室のソファで居眠りをしていたらしい。
「大丈夫? どこか具合悪い?」
「いんや、寝てただけ」
適当な返答をしながら、ここで何をしていたかを思い出してく。
……そうだ、船内に潜むグノーシア探しをする羽目になり規定とかなんとかで乗員全員で議論してコールドスリープする人物を一人ずつ選ぶことになったのだ。
「はぁ、ここで沙明に倒れられたら困るのは私たちなんだし、気をつけてよね」
呆れたような口ぶりでは言う。ドクターである沙明はコールドスリープした人物がグノーシアかどうか判別することができる。貴重な情報源なのだ。
「けど、ドクターはオレだけじゃねぇだろ? コメットとか言ったか? ま、どちらかは偽モンだけど……」
グノーシア、あるいはグノーシア崇拝者は嘘をつき、この船を乗っとるつもりだ。LeViの記録によるとドクターとして船に乗ったのは一名のみ。ドクターとして名乗り出た沙明とコメットのどちらかが偽物ということになる。
「もしかしたらオレが偽物かもしれねぇだろ? あんまオレに構ってるとアンタの方があぶねーんじゃねぇの? ……二つの意味でな!」
最後の言葉に深く追求すると、ロクな話じゃないと分かったらしいはため息をついてスルーした。
「コメットは偽物だと思う。嘘ついてるの分かったから」
「……リアリィ?」
沙明の反応には苦笑した。
「コメットは嘘をつくのが下手だから。それで、今回の沙明は本物のドクターだって分かった。だから沙明のことを信頼してる」
不意打ちのような言葉に一瞬思考が止まる。今、こいつはオレに何て言った?
は完全に沙明を信頼しているようだった。それは単に自分がドクターであるからこそ信頼しているだけで、ただの沙明を信頼しているというわけではない。
「……妙な言い回しすんな? 今回の俺って、どういう意味だよ? それにコメットが嘘をつくのが苦手って言ってたけどその口ぶりじゃ前から知り合いみたいな口ぶりだ。……あんた、本当に人間か?」
疑ってみるとは焦ったように首を振った。
「それはないよ、私はただの人間。コメットって、良くも悪くも素直な感じで……ドクターだって名乗り出た時なんだか、言い慣れてなさそうな感じだったから。とにかく、私は無害だし信じて欲しい」
「信じるつってもなぁ?」
そう口では否定するが、内心は違った。頭では分かっている。ただでさえこんな状況で易々と他人を信頼することはしない。
信じるという言葉が甘く重たく耳にまとわりつく。の言葉は眩しいくらい純粋なものだ。だからこそ、深く胸にクるものがあった。しかし、グノーシアは嘘をつく。裏切られることも十分あるし、この状況で安易と他人を信じない方がいい。そう頭では分かっている。けれど、は心から信頼しているのが分かる。本人はコメットが嘘下手だと評しているがおそらく彼女も嘘が苦手なのだろう。だからこそ、言葉に説得力がある。信頼される心地よさに思わず唾を飲んだ。
「なら、アンタ俺がヤバい時は身代わりになってくれるってことだよなぁ?」
試すような問いに一瞬の表情はこわばった。いざとなったら死ねと言われているようなものだ。動揺しない方が無理というものだろう。しかし、彼女は頷いた。
「それで沙明が信頼してくれるならいいよ」
「おいおい、それは本末転倒じゃねェの? アンタそれ自分が死んでも構わないって言ってるようなもんだぜ?」
「そりゃ死にたくはないけど……沙明は一人でも信頼できる人がいた方がいいでしょ? ならまず、私を信頼してよ。そこから何か分かることもあるだろうから」
一体どこまで自分を信頼しているのか、その食い込み気味のに沙明は少し引く。しかし、ここまで言われて信頼できないというほど、人間を信頼できないわけではない。
「オウケィ! なら、俺のためにいざとなりゃ潔く死んでくれよ?」
「できるだけ生きるけどね」
この少女はどうやら相当お人好しらしい。しかし、この状況で仲間ができるのは悪いことではないと、打診的なことを思っていた。
「」
話している最中に彼女の名前を誰かが呼んだ。奇妙な声だった。男のようにも女のようにも聞こえ、何重にも声が重なっているようにも聞こえたし、ジャミングのように霞んでも聞こえる。
そんな不気味な声だというのに、ははっと顔を上げた。その表情は円満の笑顔だった。
「××!」
確かにはその人物の名前を呼んだ。しかし、不思議なことにまるでその部分だけ切り取られたように名前の音が耳に届かない。
(何だこれ……)
戸惑うことはそれだけではない。沙明が困惑しているうちにはその人物へ駆け寄っていく。それは娯楽室の入り口付近に立っていた。しかし、その容姿はどういったものか分からない。その姿はおそらく人型だとわかるが、ぼやけたレンズで見ているように人形の輪郭を模っているだけで顔や姿が分からない。
それなのに、はその人物と親しげに笑みを見せ話している。その様子から察するに、その人物を以前から知っているようだ。の屈託のない笑みは初めて見た気がした。
その人物はと何か話をしているが、何を話しているかはジャミングのような雑音が酷くて聞き取れない、しかし、は聞き取れているのか相槌を打っている。
一体、あれは何なんだ。
奇妙な光景に取り残されたように、沙明は二人の様子を眺めていた。
2025.04.12
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