記憶にない再会 -01-
ニューヨークなんて来たくなかった。ずっとペンシルベニアの田舎町で暮らしていたかった。
ニューヨークで単身働いている父さんが私と母さんを呼び寄せ、引っ越してから早2週間。
私みたいなティーンエイジャーは華やかな都会に憧れて当たり前だし、友達はみんな私を羨ましがった。でも、私は友達と離れ離れになるのは嫌だったし、住み慣れた土地に別れを告げるのはもっと辛かった。
ニューヨークはいろんな色の粘土をぐちゃぐちゃと混ぜて固めたような街だ。名前の響きはいいけど、いざ暮らしてみると疲れるところ。
引っ越してからも母さんに何度もニューヨークの良くないところ(例えば治安が悪いとか、空気がよくないとか、物価が高いとか)をスピーチした。でも、母さんはこのニューヨークライフを満喫しているようで、すぐに慣れてしまったみたい。アンチ・ニューヨーク作戦は失敗に終わった。
ペンシルベニアの田舎が懐かしい。友達と自転車でピクニックしたのがついこの間のことのように思える。車を買ったら皆でドライブしようって約束したのに、その夢も潰えた。方向音痴の私がこのニューヨークで運転するのは自殺行為に等しい。
そう、方向音痴。
子供の頃から私は方向音痴のスペシャリストだった。学校の中でも何度も迷子にもなったし、近所のスーパーマーケットへ行くにも母さんのそばを離れないのがファミリールールだった。
このニューヨークのど真ん中で、今まさに私は迷子になっていた。
学校で使う文房具やノートを買うだけのはずだった。地下鉄で迷い、人混みに酔い、バスを乗り間違え、さらに迷い……。
「……ここどこ」
私の心細い声がどこぞとも分からない路地で響いて、誰にも届かず消えた。スマートフォンのマップアプリを頼りにして歩いていたら、陰気臭い路地へと迷い込んでしまった。
都会でマップアプリを使う時は同期ずれに注意しないといけないことをたった今学んだ。
「ああもう、ニューヨークなんて嫌い!」
再び私の悪態が路地に響く。時刻はPM6:30を過ぎた。あたりも薄暗く、気味が悪い。
とにかく、わかりやすい路地に出なくちゃいけない。
一歩足を踏み出した時だった。
「やあお嬢さん、こんなところでどうしたね?」
嗄れた男の声で声をかけられる。振り返れば、腰の曲がった男が立っていた。陰になっていて顔は分からないし年齢層も分からない。ただ、その陰鬱とした立ち姿と、気のせいなのか匂う異臭に全身が警鐘を鳴り響かせた。
「もしかして迷子かね? ヒヒッ、さっきからずぅっとあたりを見渡しているのを見ていたよ」
ネトネトした声で男が話す。すごく嫌な感じがした。とにかく、関わっちゃいけないタイプの人だと分かる。
「本当になんでもありませんから」
「よかったら案内してあげよう」
最初は気のせいかと思った。その男の肩がいかり、背中がむくむくと動き出している。
でも、気のせいなんかじゃない。確かに背中から棘のようなものが突き出して、男の着ている服を突き刺しながら体が大きくなっていく。気づいた時には獣の姿……モンスターへと変化していた。
「俺のハラの中へ案内してやろう!!」
私はパニック映画のヒロインじゃないから、つんざくような悲鳴は出なかった。出るのは助けてと音にならないような空気だけ。逃げなくちゃいけない。だけど足はすくんで動かない。ここで私の人生は終わってしまう。目を瞑り、痛みや衝撃が来るのを待った。
でも、待っても待っても終わりが来ない。まだ私は生きてる。もしかして、全部夢だったのかも? そんな淡い期待を込めて目をそっと開けた。
獣のモンスターに変身した男は、汚い地面の上に気絶して転がっていた。
でも、私の目を釘付けにしたのはそっちではなく、私の前に立つ人影だった。
背丈は私よりも高く華奢。背中を向けているし、薄暗くて容姿は分からないけれど、何というか白い肌も黒い肌もしていない。つまり、おおよそ人間の肌色をしていない。“緑色”だ。コミックのハルクみたいに。
「レオ! 急に飛び降りるな!」
建物の屋上から違う声が降りてくる。目の前に立つ彼が見上げて応答し始めた。
「このバカのでかい声でライブ中継の音聞こえなかっただろ、いかにも悪いことしてるって感じで! 人助けになったから別にいいだろ?」
くるりと彼が振り返る。彼もやっぱり人なんかじゃない。肌は緑色で、髪はない。背中に硬い甲羅のようなものを背負っていて、まるで亀を人型にしたような姿だ。
ミュータント。その単語が脳裏に浮かんだ。都市伝説や、噂なんかでしか聞いたことがなくて、姿を見るのは初めてだ。彼もそのミュータントに違いない。……着ぐるみやコスプレ、という可能性もなくはないけど。
彼と目が合う。すると、彼の目が大きく見開いた。私を注視して、目を離さない。頭上で彼の名前を呼ぶ声がする。しかし、彼はそれに応答することはなく、私の肩に手を置いて、じっと見る。
「……?」
「え……?」
自分の名前を呼ばれて、脳内で思考が混乱する。なぜ、彼が私の名前を知っているのだろう?
そう考えていると、無言のまま彼に抱きしめられた。
2023.10.14