Lost Utopia -エピローグ 理想郷に手を振って-

「沙明」

名前を呼ばれそちらを見上げると目の前に人が立っている。声は女性的な特徴があるが、このご時世声や見た目だけで性別を判断することは難しい。緑色の髪に軍服風の衣服を着た若い人間。この人物のことを知っている。名前は確か……

「よぉセツ、来る頃だと思ってたぜ。んじゃあ挨拶代わりに──」

セクハラじみたことを告げようとすると、セツと呼んだ彼女は沙明の言葉を無視するように近寄って、ぐいっと腕を引っ張った。引っ張れるがまま沙明は立ち上がった。

「お、なん……」

何だよ、立ってするのがお好みか? と揶揄うつもりだったが、その言葉は出てこなった。出していたら確実に舌を噛んでいただろう。そのままセツは、沙明を背負い投げした。沙明の身体は綺麗に弧を描き、そのまま床に叩きつけられる。どたんと、鈍い音が響き渡る。ここで誰かいたら「一本!」と言っていたかもしれない。

「……何、すんだよ」
「エアロックから投げ出されないだけマシだと思って欲しいね」

ひっくり返ったままの沙明にセツは冷ややかな視線をやる。そのまま目を細め睨んだ。

「いいか、沙明。これは命令だ。を悲しませたり、不幸な目に遭わせたら許さない」
「んだよ、急に」

突如、セツから告げられた名前に反応する。なぜ、ここでの名前が?

「私にとって、は……大切な人だ。恩人でもあるし、苦難を一緒に乗り越えてきた仲間でもある。だから……そうやって不快にさせるような言動をとってを不幸にしないでほしい」

セツは困惑したように息を吐いた。

「全く、よりによってなんで沙明なんだ。もっとふさわしい人がいるはずなのに、も違う人を選べばいいのに……」
「何か、俺のことすげー下げてる発言じゃね?」
「そのつもりだけど? ……でも、が選んだんだ。私がどうこう言える立場じゃないし、そもそも言うこともできないしね」

ひっくり返った身体を起こし、セツを見上げる。彼女の表情は諦観した笑みに変わる。

「本音を言うと、沙明が羨ましいよ。君はと共に生きていけるけれど、私はもう会うことができない」

少しずつ、話を理解していく。このセツはが探していた人で、違う宇宙で生きていくことになったセツなのだと。

「だから、約束して欲しい。のことを、見守ってほしい。私ができない分」
「そこは、“幸せにしてやれ”って言うとこじゃね? 俺なら毎日ヘブンに連れていけるけど?」

何か違う意味が含まれたような沙明の言葉にセツは呆れたように目を伏せる。

「沙明だから、あえて言わなかったんだけど。それにあの子なら、自分の力で幸せになれる。前を向いて歩いていける。私はそう思う」

その言葉に沙明は反論できない。は未だにどんな人物か分からない部分も多い。しかし、一人で進んでいくような自立したところがある。自分がそばにいなくても彼女は生きていられるだろうと、セツに暗に言われていることを感じて、反論したくともできなかった。

「……それでも、一人にはしねーよ」
「え?」
「心配なんだろ? なら、この俺が面倒見てやるよ」

そう言うと、セツは少し面食らったように黙って、口角を上げて笑った。

「君とは、最後まで気が合わなかったけれど、話せて良かったよ。それじゃあ、をよろしく」

セツはそれだけ言って、その場を去っていく。白んだ視界の向こうへ歩いて行き、その姿は見えなくなった。

***

「おはよ、沙明」

声の持ち主はこちらの顔を覗き込んでいるようだが、ピントが合わない。その声はのものだということは気づいていたが、メガネを掛けてからやっとで返事を返した。

「……おー」
「寝ぼけてる? こんなところで居眠りして、もう下船の用意は済んでるの?」

は訝しげに問いを続ける。
そこは遊戯室のソファで、どうやらいつの間にか居眠りをしていたらしい。偶然なのかわからないが、つい先ほど“セツ”とやりとりをした場所と同じで、が立つ場所に“セツ”はいた。それも、沙明の夢の中の話だが。

「アルノアスって日差しが強くて熱いんだよね? 日除けになるような上着を持ってなくて」

着陸予定の惑星アルノアスは星全体が亜熱帯地域で、気温が高めだ。この時期日差しが一番強い。が頭を抱えているのをのろのろと起き上がりながらぼんやりと観察する。

「ねぇ、聞いてる?」
「ん? おお……」

返事はとりあえず返したが曖昧な返答には怪訝そうに首を傾げる。

「何かあった?」
「久々に夢見てよ」
「夢? ずっと見続けてたっていうグノーシア騒動の?」
「……セツってやつの夢を見た」

そう言い終わる前にが飛び跳ねる勢いで沙明に詰め寄った。勢いが良すぎて沙明の上に乗りかかるような体制だ。

「セツに会ったの!?」
「おま、あぶなっ!」
「元気だった? 何を話したの? なんで沙明の夢に!?」
「知るかってか落ち着けって!」

沙明はをソファに押し込んで座り直す。すると、はガタンと机に顔をうつ伏せにした。

「……ずるい、沙明ばっかり。私の夢にも出て欲しかった」
「お前な……」

いじけるに呆れるように目をやる。そんなにセツがいいのかと、少しモヤっとした心地になる。

「……セツって、女だったんだな」
「セツは汎だよ」

あれは元女の汎だろ、と言いかける。ふとがこちらを見上げているのに気づいた。

「んだよ」
「嫉妬?」
「ちげーよ! お前がセツセツってうるせぇから男だと思うだろフツー」
「やだなぁ、友情に性別は関係ないよ」

ケタケタとが笑うのが気に入らず、視線を逸らす。図星を指摘されたのが気まずい。しかし、は意外とすぐ笑うことに最近になって気づいた。
コールドスリープから目を覚まして、しばらく時間が経った。の心体に目立つ損傷はなく、以前と変わりがない。 しかし、よく笑うようになった。いつだったか、夢の中のもそうやって笑っていたが、こちらが素なのかもしれない。変にすましていたのは、長くループを続けていた故の感情の麻痺だったのかもしれない。
笑う彼女に何か声をかけようとすると、ポンと無機質な音が響いた。

様、沙明様。まもなく目的地アルノアスに到着いたします。着陸時には揺れが予想されます。恐れ入りますが、自室にて着座の上、お待ちくださいませ“

LeViのアナウンスが響く。いよいよ、この船ともおさらばだ。が「じゃ、また後でね」と手を振って自室へ向かう。この奇妙な旅も終わり、次第に日常へ戻るのだろう。しかし、これまでの生活とは違い、がいることに不愉快ではない居心地の悪さを感じた。

***

D.O.Qが着陸し、エアロックへ向かう。と合流し、先にタラップへ降りる。亜熱帯のうっとする暑さがここからでも感じた。やっとで懐かしい星に戻ってきたと腕を伸ばす。

「あ〜やっと帰ってきたぜ、これがシャバの空気ってやつ?」

振り返ると、がついてこない。彼女は船内を振り返っている。何かじっと待つように船内に視線を向けている。足をそれ以上動かせないようだった。彼女が見ているのか沙明には分かっていた。この船を降りれば、彼女のループは完全に終わったことになる。いつだったかラキオがそう言っていた。それを彼女は思い出したのだろう。

名前を呼んだ。こちらを見た彼女に手を差し伸べた。手をとって欲しい、そういう思いで手を差し伸べた。彼女は沙明が何を思っているのか分かったらしい。小さく頷いてその手を取った。いつだったか彼女の手を握った時のことを思い出す。自分の手よりも小さく、少しだけ冷たい。その手を優しく引くと、彼女はタラップへと足を乗せた。

降着区画を抜け、ステーションデッキに入った。デッキからは降着した宇宙船を見ることができる。デッキに入ると、エアロックの向こうに人が立っていた。ステラとジョナスだ。ステラが深々と頭を下げ、エアロックが閉じられる。やがて、D.O.Qは動き出し、宇宙の向こうへ動き出す。巨大なステーションハッチの向こうへと飛び立ち、小さな影になっていく。あの船は、これからどこへ行くのだろう。またあそこに足を踏み入れることはあるだろうか。
その姿が見えなくなるまで二人は見送った。

「……さようなら」

が小さく呟いた。それは誰に対して言ったのかは分からない。しかし、問う必要もない。少しだけの手を握る自分の手を強めた。すると、彼女も応えるように握りしめてきた。

2026.01.18