Lost Utopia 01
「……は?」
自分の声が部屋に小さく響く。自分の声が間抜けに聞こえる。見渡すとそこはメインコンソールだと分かるが、誰一人いない。
──おいおい、誰もいねーじゃんかよ。
そう頭の中でぼやいてみるが、孤独感がざわりと頬を撫でるようで居心地が悪い。
いつもなら、誰かしら姿があるはず。しかし、周辺に人の気配は感じられず、虚しいほどに静かだ。ただ、自分の心臓だけがうるさい。
廊下に出ても、人に出くわさなかった。無機質な通路がずっと続くだけで、ロビーや食堂、遊戯室にも人の姿はない。次第に冷静さを失い、いつの間にか人を呼び求める声が大きくなる。
「オイ、誰かいねーのかよ!」
舌打ちが出る。誰もいない。いるのは自分一人だけ。嫌な記憶がフラッシュバックし、歯を食いしばる。脳内にもうこの世にはいないかつての友人達の顔が浮かんでは消える。それを振り払うように足早に最後の部屋へ向かった。
展望ラウンジは金属室の無機質な床と壁が広がっている。天井を見上げれば、正確な名前も分からない星が点々と見える。当然のように、展望ラウンジにも誰もいない。
「……ハハ」
諦観するような笑いが込み上げてくる。仲間の中で疑いながら一人ずつ凍らせ、一人ずつ消え……次に凍らされるのが自分じゃなければいいと思っていた。しかし、本当の最後の一人になってしまうと、途方もない孤独が体を蝕む。
「沙明」
自分の名前を呼ばれ、顔を上げて振り返る。先ほどまで船内は人影がなかったはずだが、そこには仲間の一人が立っていた。
「、」
今までどこにいたんだ。探してたってのに、ずっとダンマリ決め込んでたのかよ? カーッ、ひでぇ女だな! 他の奴らはどうしたんだ? もしかして生き残ったのは俺たちだけか? ならラッキーだな。どうだ、生き残った記念にここは一つ俺と——。
言いたい言葉がいくつも浮かんでくるが、それよりも先に一人では無かった安堵感がこみ上げてきて、声にならない。
に近寄り、その言葉を口にしようとする。しかし、彼女に手が触れられるほど近寄った瞬間、肌が粟立つような触感が体中に広がった。得体のしれない欲望が体を支配して、痺れるように体が言うこときかない。
気づけば、を突き倒し馬乗りになっていた。彼女は戸惑うようにこちらを見上げている。
「ち、違う。俺は……」
脳内に警鐘のように響く声がする。その女を早く消せ。グノースの元へ送れ——。
なんだ、これは。
手は震えていた。それは、を消す衝動に耐えているのか、ここで彼女を消せば本当に一人になることへの恐怖で震えているのか、もはや分からない。
「ここでお前を消せば——俺は本当に一人になる……」
その衝動と同じ様に、勝手に言葉が口から漏れた。この衝動を抑え切れるほどの理性を持っていない。歯を食いしばると、乱れた呼吸が歯の間から漏れてヒュウと音がする。彼女の胸に頭を預けるように横たわった。
「俺は、どうしたらいいんだ……なぁ」
自分が憎く、心が苦しい。普通の人間であれば、彼女を消すなんて思いもしない。もっと違う感情を彼女へ向けられたはずだ。
のわずかな呼吸音と、心臓の音が聞こえる。それが心地よく聞こえ、消したいという衝動を加速させていく。
「沙明」
彼女の声で名前を呼ばれ、顔をあげると彼女は笑っていた。少し困ったように。
「ごめんね、私——」
の言葉が突然雑音混じりになり、よく聞こえない。けれど、その言葉は酷く残酷に聞こえて耳を塞ぎたくなった。
目元が熱くなって、雫がの頰に落ちて伝っていく。それを拭うように彼女の頰に触れた。そうすると、彼女の皮膚がめくれ上がっていく。
そしてパチンという音共に消え去った。
***
わずかに電子音が聞こえる。その音で目を開けると、ベッドにしているカプセル内の照明がゆっくりと明るくなっていく。
“おはようございます。沙明様”
この船のナビゲーターであるLeviがアナウンスする。——どうやら、夜時間から朝へと変わったらしい。この船は限りなく窓が少なくかつ、その窓から見える風景も暗い宇宙が広がっているため体内時計が狂いやすい。
起き上がれないのは、体内時計が狂っているからではない。それまで見ていた夢を思い出し、感情が澱む。
思わず自分の自分の手をシーツ内から引っ張り出して見る。何も変哲もない自分の手がそこにある。しかし、夢の中での頰に触れ、そして消した感触が今でも残っていて心地が悪い。夢から醒めた今でも、自分の意思でを消したという意識がある。その触感を忘れたくて、もう一度シーツの中へ潜り込んで舌打ちをする。
目に自然と溜まっていた涙がシーツに染み込んだ。
「あ、沙明さん。おはようございます」
食堂に入れば、入り口のすぐそばに立っていたオトメが挨拶をした。彼女は食事をしている様子はないが、ジナやSQが朝食を食べているところに相席しているようだった。二人の食器はすでに空になっていて、雑談をしていたらしい。
「……おー」
おざなりな挨拶だったが、オトメは気分を害した様子はない。それどころか、テンションが低い沙明を心配するように近づいた。
「どこか具合が悪いんですか?」
キュウ、と可愛らしく喉を鳴らしながらオトメは心配そうに伺う。その様子にジナとSQもこちらを見る。その視線を振り払うように彼女達の座る席の一つ向こうの椅子に座る。
「寝不足?」
「分かった、昨日ずーっとしげみちとゲームしてたんでショ? いいなぁ、SQちゃんも混ざりたかったなぁ!」
SQのおしゃべりを聞き流しながら沙明はそうだともちがうとも言わなかった。
あれから結局眠ることができず、起きることにした。全身が重く感じ、引きずるようにここまでやってきたのだ。
頭が重く、SQの甲高い声がガンガン響いて答える気力も無く、テーブルにうつ伏せになった時だった。
「おはよう」
間も無く食堂に入ってきたその人物の声がした時、沙明は顔を上げた。入ってきたのはという少女だ。
彼女もルゥアンの騒動に巻き込まれ、この船に逃げ込んだ仲間の一人だ。個性的な乗員の中で一番平凡で、一番印象が薄かった少女。
沙明は脳裏であの夢のことを思い出す。女好きな沙明としても印象の薄いこの少女が、なぜ夢に出てきたのだろう。その夢もどこかリアルで、現実にあったことだと言われても信じてしまうほどだ。
夢の中で弾けて消えたはずのはちゃんとそこに存在して、オトメやジナ達に挨拶をしている。そこにいることに安堵と戸惑いが生まれて座ったばかりの椅子を蹴りそうになる勢いで立ち上がった。ガタンと派手な音がしたからか、彼女達の目線が痛いほどに突き刺さる。
「沙明さん? どうかしたのです?」
「やっぱ眠ィから寝直す」
ひらひらと手を振って沙明は彼女らを残し食堂を出た。
——ダセェな。自分で自分を貶す。これじゃあまるで、を避けているようなものだ。しかし、彼女の声を聞いているとあの夢の感触が思い出されてたまらなくなる。たかが夢だっていうのに。
「沙明、まって」
様子のおかしい沙明を追ってきたのか、が食堂から出てきた。わざと眠たげにあくびをしながら振り返って向き合った。
「ナニよ、ちゃん。悪ィんだけど俺今はおネムなんだわ」
「うん、なんだか調子悪そうだったから……具合悪かったりするのかなって」
先ほどのオトメ同様、も眉を顰めて不安そうに伺う。半分無意識だろう、がこちらに手を伸ばしした。先ほど見た、に触れられ消えた夢を見た時の“パチン”という音を思い出して思わず腕を引いた。避けてしまったようなそぶりに見せないよう、その手を自分の首に当てることで誤魔化す。
「いんや、ただ眠いだけよ?……それとも、添い寝してくれるってワケ?いいね、そういうのはウェルカム!」
沙明が調子の良いことを言うと、の心配顔はとたんに呆れ顔に戻った。
「……その様子じゃ、なんとも無いみたいだね」
「んだよノリ悪いな、俺のこと心配してくれてたんじゃなかったのか?」
「元気そうだから安心したってこと。おやすみ、沙明」
ヒラヒラとは手を振って立ち去る。ここで彼女が素直に添い寝をしてくれるはずは無いとは分かっていたため、素直に引き下がることにして自分の使っている共同寝室へと戻ることにした。彼女の足音が背後から聞こえる。おそらく食堂へ戻るのだろう。ちらりと振り返ると、の背中が食堂へ消えていくのが見えた。
寝室に戻り、自分の使うベッドに寝転ぶと、体に疲れているような倦怠感があった。起床してわずかな距離にある食堂へ行き戻ってくるのに30分も経っていない。この疲れは寝不足からくるものだろうと分かっているのに、少しも眠く無い。
2025.04.12
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