大切なもの

あくびの真似をする声をわざと漏らす。しかし、隣でビークルモードの形で待機しているバンブルビーは無反応だった。

ミラージュはニューヨークを離れ、久しぶりの任務中だった。オプティマスによる久しぶりの召集と任務。しかし、待機を命じられかれこれ三時間経つ。ミラージュはすでに飽きつつあった。

「……なあ、ビーちょっと聞いてくれよ。この間気づいちまったんだけどよ」

余りにも退屈になり、バンブルビーに声をかけた。黄色いカマロ姿の彼はそんなミラージュを諌めるように映画の録音された台詞を自分の声がわりにして返答した。

“お喋りなんて随分と余裕じゃない”
「ちょっとくらい、いいだろ? それにあんたの意見も聞きたかったんだ」

退屈だったのはバンブルビーも同じだったらしい。その先を促すようにモーター音を低く鳴らした。

──先週のこと。その日、ノアは自身の母親に頼まれてキャビネットの色塗りをすることになっていた。キャビネットをガレージに持ち込んで購入した白いペンキを床に置いて作業の用意をする。
キャビネット、というのはかなり大きなものだった。ノアの身長以上の大きさがある。それを塗りやすいように部品ごとにノアが解体した。

「随分とデカいな。俺も手伝おうか?」
「ありがたいけど遠慮しとく。結構細かい作業になるだろうし、それに助っ人はもうすでに頼んである」
「助っ人?」
「私のことだよ」

ナイスタイミングという時に声がかかった。ガレージの入り口には普段よりもラフな格好をしたが立っていた。意中の人でもあるの訪問にミラージュは声をあげた。

「なんだ、ダーリン。来るなら言ってくれよ迎えに行ったのに!」
「そうなったら、寄り道だなんだって遅刻しそうだったから言わなかったんだよ。はぁい、ノア」
「よぉ、。悪いな手伝ってもらって」

とノアはいつものように手を軽く叩き合って挨拶をする。

「お安い御用だよ。晩御飯のためならね」

の返答にノアは苦笑する。その口ぶりから予想するに、ノアの母はに晩御飯のご馳走を約束しているようだ。

二人は早速作業を始めた。それをミラージュは邪魔にならないよう部屋の隅で見守ることにした。二人は黙々とペンキ塗りの作業をしている。
見ているだけでは退屈で……ミラージュは指先にペンキをつけてそれでノアの上着をわざと汚したりした。ノアがやめろと怒るのをがケタケタと笑った。

……そうやって脱線しながらもペンキ塗りを終えた。

「こんなもんか、あとは乾くのを待つだけだな」
「私、お昼買ってくるよ」

はペンキまみれになったパーカーを脱いでさっさとガレージからで出ていこうとする。出ていく前にミラージュが声をかける。

「俺が乗せてこうか?」
「いいよ、シートを汚したら悪いし……すぐそこのダイナーで買ってくるだけだから。じゃあね」

あっさりとは断って出ていく。なんだよ、少しぐらい迷うとかしてもいいんじゃねえのとミラージュは思ったが言葉にはしない。しかし、表情に出ていたのかノアが何かいいたそうにニヤニヤと笑ってる。

「なんだよ」
「何も」

こいつ、面白がってるな……とノアの背中を睨んでから下を見下ろした。

その白い跡はペンキによるものだと分かった。どうやら、がペンキのついた手で床に触れたらしい。くっきりと彼女の手の跡が残っている。見たはじめ、それが人間の手だと分からなかった。
……の手はこんなに小さいものだっただろうか? ミラージュは首を傾げた。自分の記憶ではこれよりも大きかったような気がする。
その跡に沿うように指先で触れると、自分の手よりも随分小さいことがありありと分かる。

人間はトランスフォーマーと比べて体が小さい。それは分かりきったことだ。
ミラージュも分かっているつもりだったが、こうしてではないもので彼女の大きさを改めて見ると、彼女は随分小さいのだと気付かされ、か弱く感じた。

「どうした? ミラージュ」

下をじっと見ているミラージュの異変にノアが気づいて声をかける。その声に反応するようにミラージュは顔を上げたが首を軽く振った。

「……いんや、なんも」
「そうか?」

何でもないというミラージュを一瞥したものの、ノアは片付けの続きを始めた。そうしていると、入り口から「ただいまー」と呑気な声が聞こえる。

「チョコサンドなかった。卵とチリベーコン買ってきたけど」
「どっちでもいいよ、好きな方選んで」
「本当? じゃあこっち」

帰ってきたとノアがやりとりしているのをミラージュは黙って眺める。
の姿を確認すると、ノアよりも幾分か背が低く、体も薄い。ミラージュにしてみたらどちらも対して変わらない体格差だと思ってたが、改めて見比べるとこうも違うのだと思い知らされる。

自分と彼らは全く違う種族なんだと自覚させられた。二人の差は男女や肌色程度で、ミラージュと比べたら大した違いはない。
の隣にいるべきは、やっぱり人間の方がいいのではないか。漠然とした考えが思い浮かぶ。

もちろん、二人が良い友達で、それ以上の関係性になることはないということは二人のやり取りを見ていて分かる。
しかし、と自分とでは何かと違いがありすぎる。自分の金属の体は柔く、小さなのことを傷つけかねない。そう思ったのだ。

「……? ねぇ、ミラージュ、ミラージュってば」

いつも賑やかしいミラージュがやけに静かにしていて異変に気づいたが声をかけ、彼の手に触れた。驚いたというのもあるが、簡単に傷つけてしまうという考えが頭によぎって素早く手を上げた。

「おいおい、危ないだろうが!!」
「は……何が? どうしたの?」

ミラージュの過剰な反応にはきょとんとしている。突然ミラージュが大声をあげたのでノアもこちらを見上げた。
これくらいの触れ合いは当たり前のことなので、は怪訝そうに名前をもう一度呼ぶ。

「……ミラージュ?」
「な、何でもねぇよ」

そう言って誤魔化すしかできなかった。

「分かってるつもりだったんだけどよ、いざ見比べてみると……あいつと俺は違う生き物なんだって思い知らされたんだ」

そう自覚する前と後ではを見る目が変わってくる。人けがないことを良いことに、二人はビークルモードから変形して向き合って話し込んでいた。

「俺たちの他に人間とまともにつるんだことのあるのはあんたくらいだ。あんたはどうかと思って」
“気持ちはよく分かる”
「本当か?」

バンブルビーは軽く頷いてから、カチカチとクイック音を鳴らし、音をキュルキュルと探す。

“大切だと思う物は”
“知らないうちに”
“自分の心の中”
“大きく占めているものだから”

「……つまり、俺にとってあいつが大切だから、その分大きく見えたってことか?」
“これはわしの経験によるものじゃ”
「ハハッ、そうか……」

バンブルビーの言葉(正確には音声だが……彼の言いたいことは伝わった)は腑に落ちるものだった。彼女のそばにいると、身体の大きさの違いを意識しなくなる。に夢中になればなるほどだ。

「あー、早く帰って会いたくなっちまったぜ」
"集中しなさいよ“
「分かってるって」

バンルビーの指摘にも適当な返答しかしない。頭の中には片想いの相手しかいない。

2024.07.07