ここは銀の檻
頭を殴られたかと思った。
実際には俯して眠っていた机を軽く叩かれただけで、そんなに酷い衝撃や音はしていない。彼らのちょっとした力は、私たち人間にとって脅威になりうる。ここへ来てそういった物音に対して過敏になってしまった。
その音で脳は半ば強制的に覚醒し、顔を上げる。最悪の目覚めで、頭が痛い。見上げれば見慣れた機械生命体が蔑むような赤い目で私を見下ろしていた。
「仕事を放棄して眠るなんていいご身分ですね」
「……できていますよ、あとはそれ通りに組み立ててもらえば」
ノックアウトに徹夜で仕上げたデータの入ったタブレットを手渡す。画面が透き通ったその端末に軽く目を通してノックアウトは軽く頷いた。
「結構。早速作業にとりかかりましょう。少しお疲れのようですから、今日は休んでいただいて構いませんよ」
「……どうも」
今日、というのがはたしていつなのかすら曖昧だ。ここで仕事をしていると時間の感覚が狂う。窓もなければこの船が地球の上だったりそうじゃなかったりするのでそれも仕方がない。
彼らが乗るネメシス、という大型の船に軟禁されてしばらく経つ。
異なる星からやってきた機械生命体と呼ばれる彼らは、この地球上ではあまり知られていない分野の専門技術士だった私を拉致した。命の保障の代わりにこの地球でしか採取できない物質を利用した技術開発に協力しろと脅され、日々彼らに言われるがまま研究を続けている。
逃げるということも考えなかったわけじゃない。しかし、ここは奴らの庭。至る所に監視の目があり、奴らが非力な私を捕まえることは容易いことだ。
それに、もし仮にこの船から抜け出すことができたとしても、無事に脱出するのは無理だろう。
首元に付けられた首輪型の機械はこの船から離れた瞬間、破裂する仕組みになっているらしい。実際に試したことがないから本当かどうかは知らないけれど、痛いのも苦しいのも嫌いだから試そうと思ったことはない。
「しっかり休んでくださいね。また働いてもらう必要がありますし……ひどい顔をしています」
さっさと寝室へ行こうとした足を止めるようにノックアウトは私の腕を掴んで顔を覗き込む。さっさとシャワーを浴びて寝たいのに。
「ああ、ひどい顔は元々でしたね。失礼」
何が失礼だ。舌を打ちそうになってどうにか固く口を閉ざすことで抑え込んだ。しかし、私の不快感は表情まで隠すことはできなかったらしい。私の顔を見てノックアウトはとても愉快そうに笑って見せた。
「そんな顔をしないでください。これでも同情しているのですよ、お可哀想に。あなたが私たちにもっと協力的で、二度も逃げようとしなければこんな首飾りしなくてもよかったのに」
ノックアウトは細い鋭利な爪先で私の喉を拘束する首輪をカリカリと引っ掻いた。金属の擦れ合う嫌な音がする。
「……犬になった気分」
ぼそりと独り言を呟けば、ノックアウトは喉を震わせておかしそうに笑った。
「飼うならもっと美しい犬を飼いますよ。シートに毛がつくので飼いませんが」
「ああ、そうですか」
聞いてもいないのに、この機械生命体はよく喋る。
仕事の内容上、こいつと関わらざるを得ないので仕方ないが、独りよがりでナルシストの性格はわたしの癇に障る。つまるところ、私たちの相性は最悪なのだ。
ノックアウトは私の腕を解放した。
「さぁ、早く部屋に戻ってください。明日からはまた新しいお仕事を頼むつもりですから」
ああ、明日もこの機械の牢獄から逃れることはできないのか。その事実が私の脳をさらに疲弊させる。かろうじて首は動くので分かった、と示すように頷いてみせれば、ノックアウトは満足したらしかった。
前に一度、問いかけを無視したら体を揺さぶられて酷い目にあった。以来、無視しないように彼の言葉に付き合うように気をつけていた。
「おやすみなさい。ほんのひと時でも良い夢が見られるといいですね」
自分の両腕を後ろに組み、ノックアウトは私を見送る。その姿を胡乱気に見て「どうも」とだけ返して研究室を去った。
そんなこと、思ってるわけがないのによく言えるものだ。一体、こんなところでいい夢なんて見れるわけがないだろう。しかし、ノックアウトはそれを知っていてそう言ったのだ。
私がここから逃れることはない。彼はそれを知っている。あの不快になる笑みはそれを知って優越感に浸っているのだ。私を所有物のように扱えることに。
ああ、早く眠りたい。眠ってしまえば、この悲惨な現実から一瞬だけ逃れることができる。今の私はそれに縋ることしかできない。
2023.11.23