星間逃避行

まるで、VIPを乗せた護送車になった気分だ。
ミラージュは頭の中でそう独りごちた。決して声にはしない。助手席に座る彼女を起こさないために、の寝息が聞こえた頃から一言も発していない。
夜のニューヨーク。中心部から離れ、住宅地がまばらな地域にまで来ていた。騒々しい街に比べ辺りは静かだ。
これまでにないほど、ミラージュは慎重に走っていた。左右に緩くカーブする時も彼女の体を必要以上に揺さぶらないよう、止まっているような速さで走った。
は起きる様子がない。さらにもう一つ彼女のアパートから遠ざかるように他の大通りへ通じる道へと抜ける。彼女が起きないのをいいことに、遠回りをし続けていた。
それは、彼女と少しでも長く共にいるためだ。彼女をアパートに送り届ければそこでデートは終わってしまう。さえよければ一緒に暮らすのは大歓迎なのだが──色々と理由をつけられて断られるのは想像できる。
安らかに眠るを愛おしいと思う反面、つまらなさも感じる。眠る彼女は当たり前だが、言葉を話さないし、何も反応をしない。無防備に眠る彼女をいくらでも見られることはそれはそれで歓迎なのだが。

オプティマスに身を隠すよう指示されていた頃。時々、こっそりとビークルモードで走ることがあった。もちろん、誰も乗せないで。こうして一人で黙って走るのは何て退屈だろう。
早く、が起きてくれないだろうか。……いや、起きなくていいのかもな。起きたら、アパートに送らなくちゃいけなくなる。
ミラージュはまたさらにのアパートから遠ざかっていく。
このまま攫ってしまおうか。なんて冗談を考えた。自分たちのことを知っている者のいないところに移り、二人で暮らすのだ。
……それは悪くないんじゃないか? ミラージュがそうスパークの中でぼやいた時だった。

「ん……んぁ〜ごめん、寝てた」

静かな車内で、とろけるようなあくびをしてが声を出した。ミラージュは何事もなかったようにいつものように声をかけた。

「よぉ、よく眠れたかダーリン?」
「んん、気持ちよく寝れたぁ……」
「そいつは良かった。オレのノリ心地がいいみたいで」

そう返答はしたものの、ミラージュは惜しいことをしたと実行しなかったことを少し後悔した。眠っていることをいいことに連れ去っていれば……と実行する気もないのにそう思わずにはいられなかった。
いや、それはダメだ。オレにはオレの、彼女には彼女の生き方がある。彼女を悲しませることだけはしてはいけないのだ。

「え、待ってここどこ?」
「どこって?」

遠回りしているうちにニューヨークの郊外に来てしまったようだ。辺りは森林に囲まれていて、街頭もポツポツとしかない薄暗い道だ。もまさかこんなところに来ているとは思わなかったらしい。

「悪い。つい、アンタが気持ちよく寝てるからつい遠回りしちゃって。でもいいだろ? たまには」
「もう、ちゃんと今日のうちに家に送ってよね」
「わかりましたよ、シンデレラ」

この星の童話のお姫様の名前で呼んでちゃかし、ミラージュは走る。しばらくすると、木々の開けた小高い丘に行き着いた。人や車の気配は全くない。

「わぁ……ねぇ、見て。すごい星」

が空を見上げて言う。目線を上げれば、星が濃く見えた。ニューヨークの街では見られない光景だ。

「見ていくか?」
「うん、下ろして」

を下ろし、ミラージュも変形した。この辺りは人も車も滅多に通らないだろう。は丘の細かな草の生えた土に腰を下ろす。それに倣うようにミラージュも隣に座った。

「すごい光景。まさかこんなところがあるなんて知らなかった」
「オレは知ってたぜ。何度かここを通ってる」
「教えてくれればよかったのに」

そう言うがの口調は決してミラージュを責めているわけではなかった。表情を綻ばせて星空を見上げている。

「この星のどれかに、ミラージュの故郷の星もあるの?」
「セイバートロン星? あーここからじゃあ見えないな。何しろ地球からうんと離れている。人間の肉眼で見るのは無理だろうな」
「そっか、すごく遠いところから来たんだね」
「まぁな」

故郷の名前を口に出すと、地球に来る前のことを思い出す。しかし、平和だった頃のことはあまり思い出せず、戦争に身を投じていたことしか思い出せない。戦争になる前はどうやって過ごしていただろう。気が遠くなるくらい昔に思えた。
あの頃のことを思うと、この時間はなんて平穏なのだろう。異種族の友ができ、恋もしている。あの頃の自分なら思っても見なかった未来だ。

「いつか、見てみたいな。ミラージュの故郷」

の言葉に驚いて彼女を見下ろした。すると、彼女もこちらを見上げてはにかんだ。

「あー、どうかな。セイバートロン星は、ずっと戦争状態で、何もかも壊れてめちゃくちゃだからな」
「それでも、ミラージュがどんなところで暮らしていたのか気になる」

ミラージュのスパークに何かが込み上げてくる。これが何なのか分からないが、衝動で彼女に何かをしそうで、必死に押さえ込んでいた。

「……なら、もし行けるなら、一緒に来てくれるか」
「いいよ」

今すぐここで彼女を抱きしめて愛していると叫びたくなる。きっとそうしたら、彼女は怒って機嫌を損ねるだろうから、実行はしないが。
彼女がどういうつもりで返事をしたのかは分からない。もしかしたら単純に気軽に遊びにいくつもりでいいと言ったのかもしれないし、永久に共にいると返事を返してくれたのか。
この際どっちだっていい。どういうつもりでいいと言ってくれたのか、確かめなくてもいい。
ミラージュといる。彼女がそう言ったのだ。それだけで十分。たとえ、誰も知らないところへ連れて行かなくても、これからも彼女と共にいられる。それだけを確信できただけでも。

しばらく二人は黙ったまま空を見つめていた。珍しくミラージュも言葉を発しなかった。星の間の遥かその先にある自分の星に思いを馳せながら、彼女といずれそこへ行くことを考えていた。

2023.09.22