あなたのうたひびくところ

今まで気にもしていなかったけど、気づくとどうしても気になってしまう。

化学でどうしても分からないところがあると、ラチェットに泣きついたのはいつものこと。
そのラチェットは長いため息の後に私に小言を二つ三つ言うが、「ほら見せなさい。そこに座って」と教えてくれるのもいつもの光景だった。
ラチェットが化学式を説明する口をじっと見つめていると、どうでもいいことが気になってしまう。
トランスフォーマーの体は金属でできている。彼らの体はどこも硬くて頑丈だ。柔らかいところといえば、車内のシートぐらい。
でも、話すときは滑らかに動いて発音している。口は柔らかいのだろうか、それとも硬い金属のままなのだろうか?

「……おい、。聞いているのか?」
「あ、ごめん。聞いてなかった」
「悪びれもしないでよく言えるな……」

ラチェットは呆れたように言った。

「だって、気になっちゃって。ラチェット、あなたの口ってどうなってるの?」
「口?」
「うん。ねえ、触らせてよ。柔らかいのか硬いのか気になっちゃう」
「ば、馬鹿なことを言うんじゃあない!」

声を上げてラチェットは少し怒った。それに負けじと私もソファから立ち上がった。

「少しだけ、お願い! 気になって化学式どころじゃないよ!」

彼は呆れかえったように、ため息をついて私の前に手を差し伸べた。いつもの手に乗れの合図だ。だめだと言われるかと思ったけど触ってもいいということらしい。
やった、と声に出してラチェットの手に乗るとゆっくりと動き出し、彼の口元の前に。
おそるおそるラチェットの口元に触れるとひんやりとした金属質でできているのがよく分かる。少し親指で押すが、柔らかくはなかった。

「ねぇ、何か喋ってみて?」
「……あー。ほら、満足したか?」

わずかに口元が波打っているのが指先で分かった。声に響いて少しだけラチェットの皮膚(金属だけど)が振動している。金属なのに動いているその感触が新鮮で面白かった。

「すごい、動いてる!」
「そりゃあ、動くに決まってるだろう……なあ、恥ずかしくないのか? その、今の私たちの格好が」
「そう?」

すると、私の前にラチェットの大きな手が現れた。人差し指を私の顔の口に軽く当てる。大きな指は私の口を覆い隠してしまった。
何をしたいのだろうかとわからず、見上げると想像以上に、ラチェットの顔が近いことに気がついた。今までラチェットの口ばかり見ていたから、その近さに気づいていなかったのだ。
ラチェットの青く光る目と自分の目が合う。とたんに恥ずかしくなってきて、何も言えなくなってしまった。

「……何か話してごらん、
「え、あ……その」

ん? と優しく言葉を促された。先ほどまで、ラチェットの口が動くことにはしゃいでいたが、それが恥ずかしいことだと気づいて顔が熱くなる。

「あ、あの、ラチェット……」

体が硬くなってしまって、大きな口から手を離そうとしても、思うように体が動かない。目もラチェットの青い目と合ったまま、どうしたらいいのか分からない。

「ほら、もっと話してごらん」

優しくそう問われると、頭の中は混乱した。

--------------------

、化学の宿題?」

宿題に再び取り掛かっていると、基地にやってきたミコがノートを覗き込んできた。

「うん……今やってるとこ」
「ラチェットに教えてもらえばよかったのに」

すると、私たちの会話が聞こえていたのだろう、ラチェットはこちらを振り向かずに

「宿題は自分でやるものだろう、ミコ。そういう君はもうやったのか?」

と言いながら、モニターに何か文字を打ち込んでいる。ミコは「私も教えてもらおうと思ったんだけどなー」とぼやいている。

「……、どうしたの? 顔赤いよ?」
「へ!? な、なんでも!」

ガタン! と向こうで大きな物音がした。ラチェットが何かにつまづいてしまったようだ。ミコは怪訝そうにラチェットに目線をやる。彼はごまかすように大きな咳をして傾いた資材を片付けている。
後ろ姿を見ていると、先ほどのことを思い出す。

また口に触らせてと言ったら、触らせてくれるだろうか。

title by エナメル