モーニングコール※ホーム画面セリフバレあり
困惑した彼女の表情を見て、言うんじゃなかったと後悔した。ぴぃちゃんを困らせたかったわけじゃない。少しだけ気と一緒に口元が緩み、つい言葉にしてしまった。
──たまにね、朝目が覚めた時になんで起きちゃったんだろうって思うことがあるんだ。
ぴぃちゃんは何て言葉を返そうか考えているようで、少しだけ口が開いている。言葉を失う、というのはこういうことを言うんだろうな。他人事のようにそう思いながらも、彼女が何か言う前に言い訳をした。
「ごめんね、困らせるつもりは無かったんだ」
「百々人さん、あの……」
「今の話は忘れてね」
ごまかすように笑ってみせると、より一層彼女の表情が曇る。
……そんな表情をさせたいわけじゃなかったんだ。僕は、もっと違う君の表情を見たいのに。
呼吸をすると、室内の冷えた空気が肺を刺すように入り込んできて、目が覚めてきた。今日も夜が明けてしまったらしく、外からは雀が鳴く声が聞こえてくる。寝返りを打つとベッドが軋む音が微かにした。少しずつ頭が冴えると昨日のことを思い出す。
忘れてね。なんて言ったくせして、朝目が覚めた瞬間自己嫌悪に陥る。ぴぃちゃんに言ったあの言葉と彼女の困惑した表情を思い出して、後悔のため息が出た。
……どうして、あんなこと言っちゃったんだろう。
手繰り寄せるようにベッドの上に放っていたスマートフォンを手にした。画面を見ると、メッセージアプリに赤いアイコンがついている。深く考えずにタップすると、眠気や淀んだ気持ちが吹っ飛んでしまった。
『おはようございます』
そのメッセージはぴぃちゃんから送られてきたものだった。
『今日は冷えますね。昨夜は眠れましたか? お仕事の資料が用意できました。お暇な時で大丈夫ですので事務所に来てください』
気遣う言葉と共に書かれたお仕事の連絡。その無機質なフォントに綴られた彼女の言葉はじわりと僕の胸を温める。
『おはよう。放課後とりにいくね』
返事返し、息を吐く。朝はあまり得意じゃないけど、これだけのことで十分目が覚めた。
──次は、変なことを言わないように気をつけなくちゃ。
起き上がると自分の身体が何十年も眠っていたように重く感じる。引きずるようにベッドから起き上がり、学校へ行く支度を始めた。
何事もなく放課後を迎えて、すぐに事務所へ向かった。プロダクションの戸を開けてぴぃちゃんの姿を探す。彼女は自分の席で忙しなくキーボードを叩いていた。僕が部屋に入ってすぐにこちらに気付いて、笑顔で出迎えてくれた。
「おはようございます。百々人さん」
「おはよう、ぴぃちゃん」
芸能界では、昼でも夜でも「おはようございます」と挨拶するのが当たり前で、ぴぃちゃんも「お疲れ様です」と言う他にこうして挨拶することがある。この挨拶にも慣れたけれど、少しだけおかしく感じる。でも、彼女におはようと言われるのはくすぐったくて心地が良かった。
ぴぃちゃんからクリップで束ねられた書類を手渡され、軽く中身を確認する。テレビのコーナー企画にゲスト出演するための資料で、内容は共演者のプロフィールや番組のトークテーマ、それに関係した情報が記載されている。十ページにも満たない資料だけど、僕には十分重たく感じる。彼女が僕のために取ってきてくれたお仕事だ。ちゃんとできるようにしないといけない。
「何か分からないところがあれば、いつでも聞いてください。それと──」
付け足すようにぴぃちゃんが続けて、僕の持った資料にお菓子を置いた。ひよこのキャラクター型のクッキーで白い包装紙は卵がモチーフらしい。
「出掛け先で見つけまして。百々人さんがLINKで使っているスタンプのキャラクターに似てるなと思って、つい買ってしまったんです。百々人さんにおすそわけです」
焦げ目で表現したつぶらな瞳に黄色いクッキー生地の体。確かに少しだけ似ている。その少し間の抜けたひよこの顔を見ていると、抱えていた後悔や憂鬱さが少しずつ溶けるような心地がした。
彼女に認められるためならどんなことでもするつもりだ。情けない姿を見せたくはなかった。だから、昨日のことは言うんじゃなかったと後悔していた。でも、ぴぃちゃんの笑った顔や、ひよこを見ているとどうしてあんなに後悔していたのか分からなくなってきた。
「……本当、そっくりだし可愛い。ありがとうぴぃちゃん、大事に食べるね。そうだ、一緒に食べようよ。お礼に僕がお茶入れるから」
「そうですね、一緒に食べましょうか。ちょうど休憩しようと思っていたところだったんです」
二人分のお茶を入れて、ひよこのクッキーを一緒に食べた。クッキーは素朴な味のするちょうど良い甘さで、お茶とよく合った。ぴぃちゃんと他愛のない話をして、日が少し傾く頃までお茶会をした。
──それからも、ぴぃちゃんは会うたびに何かをくれるようになった。
期間限定の桃ジュース、ちょっと珍しい南国フルーツのキャンディ、辛すぎないミントタブレット、苺が丸ごと一粒入った大福、ウヅキくんが絶賛していたという柔らかいシフォンケーキ……。そういうちょっとしたお菓子や飲み物を「よろしければどうぞ」と僕にくれる。時々差し入れのお菓子や飲み物をくれることはあるけれど、会うたびに何かをくれるのは初めてのことだ。……急にどうしたんだろう。
その理由はすぐに分かった。レッスン場の鍵を返すため事務所に寄ると、真剣な眼差しでパソコンを睨みつけているぴぃちゃんがいた。戸を開けていつものように挨拶しても何も返ってこない。すごい集中力。僕に気付いていないみたいだ。
──何を見てるんだろう。気になって、いけないとは思いつつも後ろからそっと画面を見た。
「あ」
思わず声が出た。その声に気づいたのかぐるりとぴぃちゃんが振り返った。
「も、百々人さん!? い、いつの間に……」
「ごめんね、驚かせるつもりはなかったんだけど」/p>
ぴぃちゃんが慌ててノートパソコンを閉じてしまった。けれど、もう画面を見てしまったから遅い。
「チョコレート、好きなの?」
「……ええと」
彼女が見ていたのはお菓子を取り扱った通販サイトらしく、美味しそうなチョコレートの写真がずらりと並んだページだった。仕事中に関係のないものを見たという罪悪感あるからか、それとも恥ずかしいからか、ぴぃちゃんの顔が赤くて、気恥ずかしそうに目を逸らしている。
本当はぴぃちゃんがなぜ、チョコレートを見ていたのか分かってしまった。こんなぴぃちゃんは見たことがなくて、新鮮な気持ちもしたし、初めて見た彼女の表情を見ることができて少しだけ嬉しくて、気づかないフリをした。
「もしかして、僕に差し入れしようと思ってくれたの?」
図星、というように彼女が驚いたように僕を見上げた。「あー……」と居心地の悪さを吐き出すように声を漏らしている。そんなぴぃちゃんを見ていたら、なんだか僕がいけないことをしているような気分になってきて、ムズムズする。
「……気を悪くしないでくださいね。前に、百々人さんが朝目を覚ました時、どうして起きちゃったんだろうって思うことがあるって言ってましたよね」
「……うん」
「その、百々人さんが朝起きた時に何か楽しみができれば、少しでも気持ちが軽くなるかなと思ったんです。でも私にはこんな子供みたいな考えしか思いつかなくて……」
小声で「すみません……」と付け足すぴぃちゃんに言葉が見つからなかった。そう言われて、思い出した。
──花園、最近遅刻減ったな。
学校の先生に言われたことを、軽く受け流すだけで深く考えたことはなかった。でも、寝坊や遅刻を滅多にしなくなったのはこの事務所に入ってからのことだ。
認められなくて、自分のすることが全部空回りするような日々。眠る時に朝なんて来なければいいと思って目を閉じて眠る日もあった。でもぴぃちゃんや皆に出会ってから、今日は歌のレッスンがあったなとか、ぴぃちゃんに会える日だなとか、その一つ一つが楽しみになっていた。前みたいに目が覚めたことを後悔する日が減ったように思う。
アマミネくんとマユミくん、ぴぃちゃんに出会って、アイドルという新しい目標ができた。僕に新しい目標をくれたのがぴぃちゃの期待や夢を裏切りたくなくて、優秀でいい子でいたかった。でも、時々悪い僕が出てきてしまう。才能がないと自分自身を責める僕だ。
──そんな僕でも、彼女はこうして僕のために一生懸命考えてくれる。
未だに、憂鬱な朝もある。でも、ぴぃちゃんに「おはようございます」と言われるだけで、お菓子なんかもらわなくても、僕の朝の憂鬱は溶けてしまう。
「……あのねぴぃちゃん、お願いがあるんだ」
「はい、何でしょうか?」
僕はずるい。ぴぃちゃんにお願いがあると言って断られないことを本当は知っている。でも、少しだけ目尻を下げて甘えたような声でそっとお願いする。
「また僕に、おはようって言ってくれる? それだけで、今日はどんな日になるのかって朝起きるのが楽しみになるんだ」
もちろんです。そう言って、笑顔でそう彼女は返してくれるだろう。
そうしたら明日、君におはようを言うために朝を迎える。
2023.02.03