邂逅

しまった、シャワールームに忘れ物をした。
忘れ物に気づいたのは自室に戻ってから。違和感を感じて自分の身体を確認すると愛用してつけているアクセサリーがなかった。シャワーブースに入って慌てて取り外して置きっぱなしにしてしまったようだ。
シャワールームはタイミングが悪いと埋まっていたり混雑してしまう。明日になったら回収してもいいか……という考えもよぎったが、小さなものなので紛失してしまっては困るし、いつもあるところにないとどこか落ち着かない。
私がシャワールームを出る時はまだ人はいなかったし、急げば回収できるはず。急いでシャワールームに戻った。

……が、残念なことに私の使用していたシャワーブースは誰かが使用中で扉は固く閉ざされていた。扉越しに水が落ちる音がする。待つか出直すか……どうしようか。
そうやって考えているとシャワーブース前の台座に小物が置かれているのを見つけた。細かなアクセサリーやメガネの他に目立つゴーグル。ぽんと頭の中に沙明の姿が思い浮かんだ。ということは今あそこに入っているのも沙明だろう。
いつも身につけているゴーグルは彼のトレードマークになっているものだ。メガネをかけているのにゴーグルなんて使うことあるの? と漠然と思ったことはあるけどそれを本人に聞くのは野暮のような気がして聞けずじまいでいる。
そのゴーグルをそっと手に取ってみる。よく見てみると思ったよりも年季が入った古いものだ。細かな傷はあるけれど、大切に扱われているらしく、壊れていたりほつれていたりなんてところは一つも無かった。
好奇心が勝ってしまい、ちょっと借りるつもりでゴーグルを自分の目元に装着してみた。

「おお……」

視界が少し青く染まる。それほど変わらないと思っていたけど沙明と頭の大きさが違うようでちょっと動いただけでズレ落ちそうなほどバンドが緩い。
ふと、すぐ近くでウィンと短く電子音が聞こえた。そちらを見ると、温かい湯気の中、怪訝げにこちらを見下ろす沙明がいた。当然いつものメガネやゴーグルは外した姿で、髪も濡れて肌に張り付いている。いつもとは違う雰囲気があって、一度胸がどきりとした直後、全身の血の気が引くのを感じた。

「あっ」
「あ゙?」

今気づいたけれど、シャワーの音は消えていた。しかし、私はそれに全く気づかなかったというわけだ。時すでに遅し。沙明はじっとこちらを見下ろしている。眉間に皺を寄せ不快感を示しているようだった。

「えぇと……これは、そのぉ」
「んだよ、誰かと思ったらか」

ぐいとこちらに顔を寄せて私の顔を覗き込んできた。あ、そっか今裸眼か。深いで皺を寄せているのではなく、単に顔が見えなくて誰か分からなかったらしい。

「ご、ごめんね。忘れ物取りに来ただけなの」
「フゥン? で、俺のゴーグルつけてナニしてるんですかねぇ?」

じっとゴーグル越しの私の顔を見てくる。笑ってるけど、沙明の細めの目がさらに細くなって逃さまいと睨んでくる。……言い逃れはできそうにない。

「いやぁ、見慣れたものが目の前にあって、つけたくなってつい……えへっ」
「つい、ねぇ……可愛いこというじゃん。なぁちゃん」

空気を誤魔化すつもりでかわいこぶって言ってみたけど効果があったかどうかは定かじゃない。……この反応は微妙だったかもしれない。
というか、今沙明の顔が至近距離にあって視線を下げたい。でも、できない状態にある。彼は今全裸なのだ。視線を下げたら、色々と差し障りがあってまずい。とにかく身体を見ないように精一杯沙明の顔を見るしかできなかった。

「あ、あのさ! とりあえず服きたら? 風邪ひくよ? 私、忘れ物とったらもう行くから!」
「ヘイヘイそれはちょっとないんじゃねぇの?」

ぺた、と沙明がシャワーブースから出てきて一歩私に近寄る。嫌な予感がして一歩下がった。

「俺のハダカ拝んどいて、んじゃはいさよならで帰っちまうとかさぁ、ズルくね? そっちもそれ相応のモン見せてもらうか責任とるのが筋なんじゃないですかねぇ、ンー?」
「いやいやいやこれは不可抗力でしょってか、何で近寄ってくるの……」

一歩、私が下がればまた沙明が一歩近づいてくる。もう一歩下がろうとしたけどトンと腰に台座が当たり、これ以上下がれなくなってしまった。沙明が迫ってきて私の横に手をもたれさせ逃せなくなる。もはや距離は0だ。沙明の濡れた肌が私の着ている服をジワリと濡らしていく。服の内側に染み込み、沙明の熱を感じる。

「それともアレか? 俺とハダカの付き合いをしたくてここまで来たのか? んだよ焦ったいな! だったらさっさと脱げよ」
「違うから! お願いだから離れて服濡れちゃう!」

私の必死の抵抗も無視して沙明は私のシャツをめくろうとする。ぐぐぐ、とシャツを捲り上げるのを抵抗しているとするんとゴーグルがずり落ちてきた。これまで青色で誤魔化されていた視界がクリアになり、髪や肌を濡らした沙明と目があう。もう目の前を誤魔化せるものは無くなってしまった。その姿が間抜けだったらしく沙明は息を漏らすように「フハッ」と笑う。すると、何かをつまんで私の目の前に見せつけてきた。私の探していたアクセサリーだ。

「これアンタんだろ?」
「そ、そう……返して?」

素直に返すよう求めると沙明はニマニマと笑いながら私を見てぎゅっとそのアクセサリーを自分の手のひらの中に納めてしまった。沙明が動く。距離の近い状態でさらに近づいてくるからキスされるのかと思った。沙明の口元は外れて首筋をなぞる。吐息が耳元に届き、背筋がぞわりとして、足腰が今にも崩れそうだ。身体が熱くて沙明の身体と同じ体温へ変わり、皮膚の境界が曖昧になるような気さえした。沙明が低い声を出す。

「それ返しに部屋へ来いよ。……今夜はシピもしげみちもゲームするとかで帰ってこねーから」
「へ……」

沙明が離れていく。どういうこと? と思って彼を見上げるが慌てて床に目線を下げた。……思いっきり見てしまった。私の反応に沙明はケタケタと明るく笑った。さっきの声とのギャップがありすぎる。

「今夜はお楽しみっつーことで……待ってるからよ、あんたごとな?」

そう言い残して再び沙明はシャワーブースへ入って行った。一体、何だったんだ……。
放心したままシャワールームを出るとSQとジナに出くわした。「何でそんなびしょびしょなの?」「どうして沙明のゴーグルを……?」とそれぞれに聞かれ、何て言ったらいいか分からず、自分の体温が上がっていくのを感じることしかできなかった。
このゴーグルを今夜どうしたらいいのか、しか頭になかった。