猫とひだまりの手
その視線が偶然やたまたまではないことに気がついた。
猫は他者の視線に敏感だ。猫同士の視線が合うということは喧嘩を売り買いすることと同じことだ。あえて視線を空して敵意が無いことを示すこともある。猫に囲まれて育ったシピはの視線に感づかないほど鈍感では無い。
何気ない雑談の最中や、食事中など、は時折シピをじっと見る。その視線に気づいて見ると彼女はさっと目を逸らす。
バレバレなんだよなと内心苦笑するが、彼女がなぜ自分を見るのか分からない。悪意はなさそうではあるが、何か意味ありげにこちらを見ている。
自分は今猫になるための手術前で、首にはいずれ本体になる猫と繋がっている。その格好は知らない者にしては異様な姿だろう。とはいえこの船で共に旅をするようになってから幾日か経っている。もう慣れてもいいはずだが、チラチラと何かを気にするようにこちらを見る。
その熱の篭った視線が気にならないわけがない。
「——お前、時々俺をじっと見てるよな」
ジムにやってきたと他愛のない雑談をしている最中にふとそう聞いた。「えっ」と大袈裟に肩を震わせて少し気恥ずかしそうに視線を逸らす。
「そ、そんなことないと思うけど……」
分かりやすい。
「悪意が無いのは分かってるんだけどよ、なんつーかこういう時だから疑われてるような気がして。できればはっきりと正直に話してくれた方が俺としてはありがてーんだけど」
「うう……」
は唸って観念したように息を吐く。やはり、シピに何か思うところがあってじっと見ていたのだろう。
「じゃ、じゃあこの際だから言うけど……その、シピの猫に触りたくて」
「猫?」
こくん、と小さく頷く。つまり、彼女はシピの猫の方に触りたくて見ていたというわけだったのだろうか。
「あ、ダメだったらいいの! まだ手術前だし……!」
「なんだ、そんなことか。ほら」
シピはが撫でやすいように屈んだ。彼女の目の前は猫の艶々とした黒い毛並みが広がっている。はすぐに触り出そうとせず、シピの顔を見る。
「い、いいの?」
「ああ、そっと撫でてくれればいいよ」
「じゃ、じゃあ」
そっと、はその猫の背中に触れて毛並みに揃えるように撫でた。猫の毛並みに触れて気持ちがいいのかはにかんだ。
「うわぁ、ふわふわだ」
恐る恐るではある手つきだが優しい手だ。触られるのが苦手な猫もいるが、の手は暖かく心地が良い。
「……こうして触ると、シピも分かるの? 撫でられてるって」
「……ん? ああ、まだ鈍いけど少しだけな」
「そ、そっか。なんかごめんね、急に触りたいなんて言って」
猫を撫でているつもりとはいえ、その猫は成人男性と繋がっているのだ。それに気づいたからか急に恥ずかしくなったらしく、は手を止めてしまった。
——名残惜しいな。
「なぁ」
「うん?」
「もっと撫でてくれよ」
「えっ」
の顔がみるみると真っ赤になる。やっぱり分かりやすいと、隠れて笑い、部屋に備え付けられたベンチに座って隣を叩いて座るように促す。は躊躇いがちに隣に座ってシピの黒い猫を撫でた。猫とシピの繋ぎ目に触れないよう首元を指先で撫でてやるとわずかにゴロゴロと喉を鳴らす音が聞こえた。
「……気持ちいいの?」
「ああ、撫でるのうまいな」
「そ、そうかな。あはは……」
まだ恥ずかしがっているのか照れ隠しにわざとらしく笑っている。視線をに向けると、いつものように視線をそらされた。けれど、撫でる手は優しく心地よい。
ああ、早く猫になりたい。
猫になったあと、に飼われて毎日こうして撫でられるのも悪く無いかもしれない。
未来の夢を想像し、口元が緩む。心地の良い手に少し微睡み、目を閉じた。