口実
「、知ってるか」
「んー?」
ドニーはこちらを振り向かず私に声をかける。機械音を立てながらずっとよく分からない機械をいじっている。あんまり近づくと「近づくな! 触るな!」と癇癪を起こされるのでこういう時は離れているようにしていた。だからと言って勝手にドニーの部屋を去ると後で拗ねられるので、部屋の角に漫画を持ってきて読み耽っていた。
「ハグにはホルモン分泌効果がある」
「……へぇー」
突然なんだろう、とは思ったけどとりあえず返答する。
「βエンドルフィンやオキシトシンなんかが促進されるらしい。これらが何なのか分かるか?」
「さぁ、よくわかんない」
するとドニーがふっと笑った。私を小馬鹿にするような笑い方だ。
「βエンドルフィンはエンドルフィンに分類され、中枢神経系と末梢神経系の双方の神経細胞で、オキシトシンは脳の視床下部の神経細胞で産生される」
「そうなんだ」
「鎮痛、抗ストレス作用。集中力の恒常や精神安定なんかに効果があると科学的に証明されている」
「へぇ、知らなかった」
何となく、ドニーが何を言いたいのか、何がしたいのかが分かった。適当な相槌を続けていたけど、一応彼の話はちゃんと聞いているつもり。
「でも滑稽だと思わないか? 世の科学者にたかだか身体接触に何の効果があるかを調べたやつがいるなんて。もっと有用的なことに時間を使った方がいいと……」
「ドニー」
「何?」
「ハグしたいならハグしたいって言えば?」
そう聞くと、ピタリとドニーの動きが止まった。同時にうるさかった機械音も止まる。しかし、気づいたように先ほどよりも大きな機械音を立てながらドニーは作業を再開した。
「僕が? なんでハグしたいって? そんなこと一言も言ってないだろ。僕はあくまで事実を言ってるだけで、したいなんて言ってない。そうだろ?」
早口で捲し立てられる。そう返すだろうと思った。まぁ、ドニーならそう返答するだろうなと思って聞いてみたんだけど。
「そっか、私の勘違いだったみたい」
「あ、いや……」
再び機械音が止まる。ドニーは今度はこちらを振り返り、ゴーグルを外してこちらを見る。漫画から少しだけ目を外してそちらを見るとドニーは何か言いたげにしているけど目を逸らした。……素直じゃないなぁ。
ドニーは抱擁嫌悪派だ。ティーンにありがちな反抗期とも言える。だから兄弟たちの(主にラフやマイキー)からのハグに嫌そうな表情をする。……と、最近まで思っていた。
「その、一科学者として実証してもいいだろうと思ってだな」
「もっと有用的なことに時間を使った方がいいって言ってなかった?」
「ぐ……でも、き、君がどうしてもっていうならしてやらなくもないけど?」
「ううん、大丈夫」
彼を盗み見ると、何かもんもんと考えていた。ほら、やっぱり本当はハグしたいんだ。ドニーは素直じゃないところがある。特に、私に何かしてほしいことや、したいことを口に出せない。年頃の男の子みたいでちょっと面白い。わざとらしく息を吐いてもう一度ドニーを見る。
「ドニー、したいことがあるならしたいって言わないと分からないよ」
「僕は、別に」
しどろもどろになっている。さすがにいじめすぎだろうか。でも、いつも小難しい屁理屈で理責めするドニーの上に立つことはあんまりないから、楽しくなってきてしまった。
ドニーは立ち上がり、ほんの数歩だけこちらに近寄る。ドニーが何をするのか分からないけど、それを見守る。顔を下に逸らしたままゆっくりと両手を広げた。
「……ん」
ちょっと笑ってしまった。まるで眠たくなった子供が抱っこをせがむような仕草だったから。言葉で言わないと分からないよ、と言いたくもなったけどこれ以上ドニーをいじめるのは可哀想だ。
「はいはい、おいでドニー」
両手を広げてドニーを抱きしめる。彼のシェルカバーに腕を回すとドニーの腕が強く体に巻き付いた。ドニーは何も言わない。
2024.06.23